009 積書(き)

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読書家諸氏の間では「積読」なんて言葉は、すっかり定着したが、その起源はかなり古いらしい。しかし近年の普及と定着には、アプリの「読書メーター」が一役買ったのは間違い無いだろう。いずれにしても良くできた単語で、字面と音、名詞でありながら、なんだか動名詞のようであり、「つんどくー」なんて、どこかとぼけた現代的なニュアンスもあっておもしろい。まことに滋味深い言葉だと思う。今さら解説は不要だろう。

では、「積書(き)」というのはご存知だろうか? 知らない? 私も知らない。私が創ったから。(元祖がいたらスマン)ちなみに見積書のことではない。

つまり、積読と同じで、追いつかないで積み上がったモノだが、これは読みではなく、書き。

小説の創作の作業工程は、彫刻なんかに近いんじゃないかなぁ、なんてことを私は昔から考えている。いや、エルトン•ジョンじゃないけれど、実際に彫刻を彫ったことはないので、あくまで想像だが‥‥‥。

←積読   積書→

まずは手彫り(手書き)で全体をざっくり彫り上げて、それから何度も何度も繰り返し削るようにして、フォルムを出していく。そこから慎重に細部を刻み込んでいく。プゥーッとカスを吹き払って、また削り、更にヤスリで磨き、プッと粉を払ってまた磨く。すると徐々にてらてらと光ってくる。血が通い、動き出すこともある。

ロダンは彫る前に、材料の石の中に既に作品があると言う。なるほど、それなら私もそうだ。

物語が埋まった石が頭ん中に積みあがっている。ひと抱えほどある中編から手頃な短編。身の丈に余る大長編から、手の中にすっぽりと収まる、文字通りの掌編まで。の石。

そして、そんな石は毎日増えていく。笑って増えて、泣いて増え、バカ野郎!とドヤされて増え、胸を衝かれて増え。出会って増え、サヨナラをして、また増えて。切なくなって増え、哀しくて増え、恨んで増え、キレて増え、反省して増え、虚しくなって増え、誰かを想って増え、あのコを思い出してやっぱり増える。そんな右往左往の取り乱した生活の中で、私の石は無尽蔵に増えていく。

面白いのが、この石はある時すっかり消えて無くなっていたり、いつの間にかくっついて、見上げるほどの巨岩になっていたり、逆に手頃サイズに縮んでいたり。

しかし、とにかく私は書くのが追いつかない。だからいつも積んである。

積読もバカみたいにあるけど、積書きもまたバカみたいにあるのだ。だからとにかく毎日書くしかない。あ、秋。