044 第171回 芥川賞贈呈式受賞スピーチ 全文掲載(編集あり)「父について、イニシャルK」

posted in: 日乗 | 0

2024年8月23日、帝国ホテルで行われた第171回芥川賞贈呈式のスピーチの内容を、一部編集して掲載します。

********************

十四歳の時、母に勧められた『罪と罰』を読み、私は私の『罪と罰』を書こうと思い、小説を書きはじめました。三蔵と言うこのペンネームも母の父、私の祖父の名前です。

母のことは、これまでいろんなところで書きました。

私はいつか、自分の『罪と罰」を書こう思いますが、『カラマーゾフの兄弟』はどうしても書けそうにありません。今日は父の話をします。

芥川賞のことを最初に口にしたのは父です。小説家を夢見ていた十代の私は、父から「芥川賞とっても食っていけないんだぞ!」と諭されました。

呆気にとられました。私は小説家を志していても、まさか芥川賞などとは夢にも思わなかったのです。夢みがちな私と違い、父は徹底したリアリストです。その父が、何を思って芥川賞などと口にしたのか。それはわかりません。

それから二十五年以上経って、私は芥川賞の候補になりました。

七月十五日、芥川賞の選考会の二日前。私は候補の報告も兼ねて、ひとりで暮らす父を訪ねました。久しぶりに外で食事をということになり、私は父の好きなお鮨をご馳走させて欲しいと言いました。

すると父は「スシローに行こう」と言うのです。私も寿司はスシローと決めていますが、今回ばかりは、回らない鮨でもいいのでは?と説得しました。しかし結局、スシローよりも少しいいお値段の回転寿司に行きました。

何でも好きなものをと私は言ったのですが、父はセットメニューから「これで」と一番安いセットを指すのです。

選考会の日、結果は18時か19時、当日すぐに電話をするから待っていて欲しいと頼みましたが、夕方は散歩や夕食の支度で忙しいのでメールにしてくれと父に断られました。

そして当日、私は芥川賞に選出され、すぐに父に電話をしました。が、やはり電話には出ず、私はメールで父に受賞を伝えました。返信は「良かったな」それだけです。

その後、会見をして、翌日から取材対応や挨拶まわり。移動中の車内や空港のロビーで依頼されたエッセイを書き、やっと関西に戻ったのは週が明けてからでした。

まず私は母の墓前に報告に行きました。それから、もう既に夕方でしたが、私は父にメールで「今から報告に行くから」と送りました。

父から返信がありました。

「まずは体を休めなさい」

偉大な父は、やはり今日もここには来ておりません。たぶんリビングで将棋でもさしているのだと思います。もちろん父もこの賞の大きさはわかっています。そして誰よりも受賞を喜んでくれています。

しかしおそらく父は私に、賞よりももっと大きな何かを伝えたいのだと思います。

私のペンネームの「K」は家族で一番多かったファーストネームのイニシャルです。父のファーストネームのイニシャルも、もちろんKです。今後、私は、このKの正式名を訊かれることがあれば、父の名前を名乗るつもりです。

松永K三蔵