058 姫路文学館 特別展 没後10年 作家車谷長吉展 私だけの車谷さん、の「な」

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姫路文学館の「特別展 没後10年 作家 車谷長吉展」が終わった。約二ヶ月間。お疲れ様でした。とても素晴らしい展示会だった。

全国各地から駆けつけたファン、現役の小説家の先生たち。改めて車谷長吉の仕事の大きさを痛感させられた。今なお、その影響は大きいのだ。

かなりお久しぶりにイラストを(汗)

今はSNSでこの車谷展に行った方の感想が見られる。すると、気づくのはそれぞれにかなり思い入れが強いということだ。

まず、回顧展をできるほどの作家は多くはない。そして没後もファンを惹きつける作家もまた多くはない。本人が「反時代的」と言ったように、時流に乗ることはく、淡々と車谷スタイルを貫き通した。その独自性を今なお読者それぞれが大切に温めているような格好だろうか。今回、各地に潜在していた車谷ファンが没後10年を機に姫路に集まった感があった。

そして私もそうだ。2007年。あの時はまだご存命だったが、私はやはり姫路文学館で行われた車谷長吉展に行ったのだった。私の中で車谷長吉さんは一番会いたくて、また一番会いたくない作家だった。

やはり、怖い。私などは臆病なのですぐにペラペラと喋る。おそらく車谷長吉さんはじっとそれを聞き、寸鉄ひと言で、私の舌を釘で刺すように黙らせただろう。そうして、下手をすればどこかのエッセイで名指しで怒られかねない。ふざけた筆名の新人の訪問をうけたが、これがまた商人のように卑屈な男であった……云々。が、やはりお会いしたかった。残念ながら私のデビューは車谷長吉さんがご存命中には間に合わなかった。

それでも縁あって、まさか車谷長吉展の開会式の末席に加えていただき、まさか奥様の高橋順子さんとお会いでき、車谷長吉先生の御仏前にと拙著をお渡しさせていただけるとは。人生はわからない。

私が手にしているのは新旧の図録

ファンが怖い、と言われる作家がいる。つまりその作家のファンは、作家に心酔するあまり、熱狂的なのだ。作家とファンの精神的結びつき(もちろん読むという一方通行ではあるが)が強烈で、うっかりそのファンに、あ、私も好きなんですよ、と同好のよしみを求めて安易に声をかけると、「お前になにがわかる!」とやられるわけだ。太宰や中上健次などはその代表例だろう。私もふたりとも好きだが、公言するのは憚れるところがあるのは、そんな理由からだ。そしてもしかすると車谷長吉もそのひとりかも知れない。

車谷さん家の朝食(和食ではないのだ)

X(Twitter)などで反応を見ていると、皆さんかなり思い入れが強い。それぞれに“私だけの車谷”があるように思う。そしてそれは小説家もだ。文章を寄せておられる万城目学さんはもとより、吉村萬壱さんなど。実際に来館されておられた。

私も私で、尼崎市立図書館でお話しをさせてもらった際には『漂流物』を紹介した。車谷長吉さんが直木三十五賞を取られた『赤目四十八瀧心中未遂』の舞台は尼崎だから、というのもあったの、私の「漂流時代」はまさに尼崎だったからだ。

そして共同通信の読書日和にも『漂流物』を紹介させていただいた。※Kはミドルネームです。

尼崎の地場の不動産屋で働きながら小説を書き、私はその間、車谷長吉の『漂流物』を鞄に入れていた。私だけの車谷さん。「わかってたまるか」と念じながら。

2007年の車谷長吉展。姫路駅から歩いて行った。あれから18年。やはり姫路駅から歩いて行く。仕事も散々変わり、結婚して、犬を飼ったり、子どもができたりいろいろあって2025年、再びの車谷長吉展。私にとっても節目だ。

車谷長吉さんについては言いたいことはいろいろある。でも今回の「車谷長吉展」のキャッチコピー「生きることはむごいな」について。車谷さんらしいな、と思う。素晴らしいコピーだと思った。

読者の人は「らしい」と思うだろうし、そうでな人にも何か心に響く言葉ではないだろうか。

何故だろう。「生きることはむごいな」平生、誰も口にはしないけれど、全くその通りだから。それがこの世の中であり、だから我々は疑問を持ち、求めるように何かを読み、また車谷さんや私は小説を書くのだけれど、私はこの「な」こそが車谷さんの魅力だと思う。

「生きることはむごい」。こう言ってしまえば、それもやはりその通りで、しかしもはや救いはなく、なんとも味気ない漠々たる荒野のようなその言葉にはなんの魅力もないが、「生きることはむごいな」の「な」の一語に車谷さんの無限の優しさが詰まっていて、それが今なお読者をひきつけるのだ。「むごいな」という車谷さんは「むごさ」を引き受けながら他者とともに立つ。だから書く。それこそが“風呂桶に釣竿を垂らし続けた”車谷さんの文学であり、本物の文学なのだ。

松永K三蔵