034 第171回芥川賞選評を読む。〝言葉の消え失せた地〟

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改めて選考委員の先生方の顔ぶれを見ると、

感慨深いものがある。

いつものコーヒーショップで

 

一番強烈な印象があるのは平野先生。

1998年、夏。私はあの衝撃を忘れることができない。当時私は18歳だ。十代。無鉄砲(バカ)。

浪人時代で、私はいつも西宮中央図書館で勉強をしていた。

いくつも小説の断片を書き散らしながら作品を完成させられなかったが、私は自己の天才を信じて疑わなかった。……バカだから。

――天才が文壇に衝撃を与えるまで、あと〇年。(その時歴史が動いた風にやる)

――今、この天才が浪人生として世を忍んでいる。

――天才が夙川沿いで今、弁当を食べている。

などとひとり頭のなかで独白しながらニヤニヤしている〝ヤベえ奴〟だったわけだ。

勉強に倦むと、図書館の入り口近くの雑誌コーナーで文芸誌を読み、ケッと悪態をつくような、全くどうしようもない奴だった。(このあたりについては菊池寛作「無名作家の日記」を読んで欲しい、ほとんどそのまま)※青空文庫にある。

そんな私がある時、ふと手にした『新潮』に一挙掲載された平野先生の「日蝕」を眼にして、大袈裟ではなく脚が顫え、口の中はカラカラに干上がった。ニセモノの天才が本物の天才を眼にした瞬間だった。

「最後の息子」で文學界新人賞した吉田修一先生のデビューもその図書館で見た。

川上未映子先生が芥川賞を受賞された時の新聞記事もその図書館で見て、今でもよく覚えている。

山田詠美先生。先生の作品は大学のゼミの研究対象にもなった。アントニオ猪木のビンタよろしく、今回、私の作品も、エイミー節で「平凡。もっと挑戦しなよ、ヘイ、カモン!」とでも書かれてズバリと斬られてみたい気もしたが、意外にもエールを贈って下さった。

小川洋子先生、たぶん生活エリアは同じのはずだ。

そんな先生方に選評を頂けるのは、何だか現実感がない。いずれもありがたい選評だ。

当代一の書き手を集めた芥川賞選考委員。おもしろくないわけがなくなくなくなくない(合ってか?)。選評の中に否が応でも名言が出てくる。それをいくつかご紹介。※本文は『文藝春秋』で読んでください。

「肉体の迷路を進み、言葉の消え失せた地まで行き着かなければ、小説は書けないのかもしれない」(小川洋子先生)

「シフトって言葉、まったく文学にそぐわないよ。センスない。ばか、ばか、F××K!」(山田詠美先生)

「優れた小説というのは必ずこの「間」を持っている」(吉田修一先生)

「けれど、その「出来ないこと」が、それぞれの小説を書かせてくれた――」

「結局今も時々、わたしはナンバで歩いてしまいます。」

「虚数は、そこにないものではなく、虚数として、そこにあるのです」(川上弘美先生)

「どう書かれているか(how)が重要であり、極端な話、Whatがほとんどなくても面白い小説は書きうる」(奥泉光先生)

たまんないな。最高だ。

中でも私は小川洋子先生の、もう一度引用するが、「肉体の迷路を進み、言葉の消え失せた地まで行き着かなければ、小説は書けないのかもしれない」この言葉に強く感銘を受け、共感する。それは私も常々考えていたことだ。

小説というのは言語芸術だけれど、その対象とするものは〝言葉にならないもの〟なので、それを言葉であわらそうという小説というものは、非常にパラドキシカルな芸術なのだ。

私はあらゆることを使ってその〝言葉の消え失せた地〟を体験しようとしている。

もちろん、その地に連れて行ってくれる文学作品もある。しかし、もしかしたら「文学」なんて概念ももっていない人の眼の奥にこそ、どこまでも純粋な〝言葉の消え失せた地〟があるのじゃなかろうか。そんなことを思う。カナンを目指す私の旅は続く。

松永K三蔵

『文藝春秋』9月号に「バリ山行」全文掲載、受賞のことば、インタビューを掲載していただきました。

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高級誌なんて言い方は日本ではあまり馴染みがないのかも知れないが、しかしそれをあげるとするなら問答無用で「文藝春秋」だろう。

私も見本誌を見て、改めてその佇まいの良さに見惚れた。グラビアのセンス、記事、その充実。そんな雑誌に私の小説が載る。ありがたいことだ。

そんな「文藝春秋」は文学好きの方にも非常に高コスパ。なんといっても今回であれば芥川賞二作丸々よめて、更には著者のインタビュー、受賞のことば。

更に楽しみなのが、芥川賞の選評。これがおもしろい。なんと言っても当代一の作家たちが作品を巡って話し合い、考察し、選評書くのだから、面白くないわけがない。おもしろくなくなくなくない。(あってるか?)今回は場外乱闘だったが、詠美(センセイ)節も健在。

選評についてはまた別項でとりあげる。久しぶりに「日乗」とかで。

『文學界』9月号に芥川賞受賞記念エッセイ「妹よ」を掲載していただきました。そして……

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なんだ? このタイトル。まぁアレだ。ほぼほぼ私の妹に宛てた個人的な文章をエッセイとして載せていただいた。

1933年創刊。歴史ある文芸誌だ。そんなことが許されるのか。いや、許してもらおう。芥川賞記念だから、私の敬愛する菊池寛先生も「仕方ないなぁ」と許してくれるだろう。

そう、タイミング良いのか悪いのか、芥川賞選考会の三日後が私の妹の結婚式だったのだ。

↓これをBGMに読んでください。

https://m.youtube.com/watch?v=eFJeJhKBxis

南こうせつ 「妹」

そして! なんと、吉田大助さんが、私について作家論を寄せてくださっております。感謝。ありがたいお言葉の数々、終始恐縮しっぱなしでした。とても面白い内容! こちらも是非。

『群像』9月号に「松永K三蔵への15の問い」(インタビュー)を掲載いただきました。

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これは新人賞で同期の石沢麻依さんもされていた企画だけれど、すると比較対象が石沢さんってことになると結構辛いものがあるが、私はうまく答えられただろうか。15も問いかけていただき、ありがとうございます。

スカした顔をしているが、私はもっと緩い人間だ。

その石沢麻依さんの寄稿や、同じ大学出身の井戸川射子さんの創作。

今月も充実の内容の群像。

みなさん、どうぞよろしくお願いします!

松永K三蔵

週刊現代8月5日発売号の「書いたのは私です」コーナーでインタビューしていただきました。

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週刊誌!に載せていただきました。主な読者層はやはり現役世代のサラリーマンだろう。つまり私だ。今回久しぶりに買ったけれど、なるほどあれこれ気になる記事が並んでいる。

紹介していただいた『バリ山行』は山の小説だが、サラリーマン小説でもある。というかかなりサラリーマン小説だ。組織の中で働いて、奥歯を噛んだ経験のある方なら小説に出てくるエピソードに共感していただけるのではないだろうか?

え? それ俺の責任? なんて理不尽なことに巻き込まれるのは日常茶飯事で、割り切って、ドライに相手を切り捨てることもできるけれど、ふと見るとその目線の先に、これまた別の立場で理不尽な目に遭っている取引先の男……。そんなやるせないことはいくらでもある。

会社の方針の不合理さ(いや、たぶん意味はあるんだよね)しかし末端サラリーマンにはわからない。ブルシットジョブなんて思えるバカバカしい業務。

それでも、それでも生きていく。モヤモヤも苛立ちも引きずって山に入る。その先に私たちは何を見るのだろう。

ご一読を!

毎日新聞8/1夕刊に芥川賞受賞エッセイを掲載していただきました。記事タイトル「山と街、双方に生きて」

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もののけ姫みたいなタイトルだが、記事のタイトルなので私が決めたのではない。(「山」と「まち」に生きて)

「お仕事小説」という言葉に私は実は違和感があって、社会人として生きていたら、たいていは仕事とか会社からは逃れられなくて、またそれになんの悩みも不安も抱かず、語るべきこともない人なんているのだろうか?

なんてことを思う。だからテーマがなんであれ仕事は絡む、生活は絡む、だから共感するんじゃないのだろうか。そしてそんなものへの反撥も。

ということで、皆さんどうぞ読んでみてください。

山陰中央新報7/29 静岡新聞7/30神戸新聞8/1などにエッセイ「日常の積み重ねが物語に」を掲載していだきました。

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 芥川賞受賞エッセイ、「日常の積み重ねが物語に」を掲載していただきました。私もサラリーマンなので、基本的には変わり映えしない毎日を送っている。その積み重ね。

でも、日常の中で、実は、結構意外なことが起きていたりする。このエッセイのラストにはそんなエピソードを紹介しています。

本当に驚きました。そんなことってあるんだなと。

山陰中央道新報web

https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/618024

静岡新聞

https://www.at-s.com/sp/news/article/national/1523064.html?lbl=10285

その他の新聞でも載るかも知れません。

朝日新聞7/25 エッセイ「その日、平静でいられた理由」を掲載いただきました。

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芥川賞受賞記念、初エッセイ。

いやぁー当日はドキドキ! のはずが、意外と平静だった。なんで? なんでやろか?

休みをもらったので、朝はいつも休日に行くコーヒーショップに普段通り小説を書きに。これだけはやめられない。

それにしてもなぜ私は平静でいられたのだろう。

ご案内が遅れてすみません。

良かったらWEBでも。

https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15992960.html

第171回芥川賞をいただきました。ありがとうございます。

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「バリ山行」をお読みくださった皆さん、エールをくださった皆さん、ありがとうございました。大変感謝です。

受賞帯です。ゴールドが美しいです。

単行本は7/25日〜29日で順次展開されるとのことです。オモロイ純文です。読んでみてください。

もし、おもしろくない! となれば私のデビュー作「カメオ」(群像2021年7月号掲載)を読んでみてください。たぶん本になります。

それでもダメなら、新作をお待ちください‥‥‥!

ありがとうございました。

松永K三蔵

013 小説における身体性

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実はオミクロンに罹った。(日乗らしいネタだ)

自分は大丈夫。なんて根拠のない自信が私にもあったのだが、罹る時はあっけなく罹る。即座に定職はストップになり、自室に缶詰。

大きな声で言えないが、こんな執筆チャンスが他にあるだろうかと秘かにほくそ笑んだが、それも甘かった。

症状が出て、陽性判定になり、そこからがキツかった。無症状なんて人もいるらしいが、とにかく目玉の奥を貫くような頭痛がして、悪寒と倦怠感で目をあけてられない。執筆どころではなく、本も読めず、映画も観れない。ひたすら眠い。ので寝た。

くっそー書きたい。とようやく起きあがったのが四日目。

怠さが残る身体をくったりと持ち上げて、机の前に座らせるが、書いているとすぐにしんどくなって続かない。

発見。けっこう執筆って体力使うのだなと。

病苦に苛まれながらも書いた人は凄いなと思う。身体が不調だと、なんだか文章も散らかってしまう。

身体で書くってのとはちょっと違うのかも知れないが、私も身体が不調だと筆もダメ傾向。これは関係あるようだ。

考えてみると文士なんかは、芥川に代表されるような、痩せ型の病弱の文弱派が多い傾向なんだろうけれど、たまーに、壮健、闊達な肉体派がいる。そんな肉体派をあげていくと面白い。

--肉体派。え、、っと、じゃ誰が強ぇーんだろ? なんて熱がある頭が『刃牙』みたいなことを考えはじめる。

三島由紀夫は肉体を鍛え上げたが、運動神経の方は絶望的になかったそうな。そう評した石原慎太郎先生(合掌)はスポーツマンで、強そうだ。

強いということで、思いつくのは中上健次。冷蔵庫を投げ飛ばすらしい。マジかよ。電子レンジならわかるけど、冷蔵庫って投げ飛べるんだ。スゲェな。ゴリラみたいで強そうだもんね。あと坂口安吾も強いよな。運動神経抜群だったみたいだし。まぁまぁデカい。あ、田中英光を忘れちゃいけない。なんてたってオリンピアン。そりゃ強い。なんて考えていくと、どうしても無頼派の系列になる。でも、たぶん最強は今東光だと思う。チンピラみたいにめちゃくちゃ喧嘩してたみたいだし、大山倍達仕込みで、極真カラテもやるようだ。

最近の人だと花村萬月先生も、なんか強そう。あ、丸山健二先生も、ごちゃごちゃ説明するより殴り倒す方が容易いのだ、なんて小説家らしからぬことをよくエッセイで書いている。故車谷長吉先生も匕首を部屋に秘蔵していたというから相当だ。(身体と関係ないなコレは)エンタメ界にまで広げると、、今野敏先生、増田俊也先生のようなホンモノの武術家も出てくるから、この辺にしておこう。

すまん、タイトルは冗談だ。熱があると、この様におかしな思考になる。やっぱり健康は大事だねって話。好き勝手に書く日乗なので許してほしい。小説に於ける身体性については、また元気な時にでも。

皆さんもコロナに気をつけてね。

※もう恢復してます。

松永・K・三蔵