006 万感描写

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五輪に伴う4連休。ありがたいことに私の定職も4、いや3.5連休。私としては自分ノルマの40枚の遅延を、なんとかこの連休で取り戻したいところ。

にしても、暑い。五輪選手は大丈夫だろうか。

窓を開けて書く。無風。暑い。

暑い! 暑い!! 暑い!!!だが、これでいい。

これは描写チャンスだ。

例えば暑いシーンを読んでる人が、いかにその暑さを感じてくれるか。描写には五感が必要だと言う。うーん、感じろ。この暑さを味わい尽くすんだ。

アントン・チェホフは作品の中で面白いことを言っていた。実は人間には100の知覚があって、生きている内はその95を忘れているのだ、とかなんとか。そんなことを作中人物に語らせていた。なんの作品だったか。ちょっと、もう暑いから、原典はあたらない。悪いけど、探してくれ。

私もそう思う。いやもしかすると100どころじゃきかないのかも知れない。宇宙の広大さや、身体を構成する細胞の数や、アイドルグループのメンバーの人数が我々の理解を超えるように。

だから描写も、なるたけ現地を踏み、五感を超えて感じ、それをそのまま筆に乗っけて、書けないものまで描かなきゃね。なんてことを考える、夏。

005 感想と批評(群像7月号まとめ御礼)

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Amazonで来月8月号、各文芸誌の情報が出始めた。そろそろ次月号にバトンを渡す頃合いだろう。ということで、このあたりでまとめ。

デビュー作掲載にあたっては担当編集者、編集部、校閲部、たぶん他にもいろいろあるんだろうけど、まず改めて御礼を述べたい。本当にありがとうございました。

掲載するまでの中で感じたのは、チーム。例えば私がピッチャーをさせて頂いて、皆さんが守備。担当編集者はキャッチャーかな? (私が投げた甘い球がカコーンと打たれたようなミスも、校閲の方がしっかりと捕球してくれて、ドンマイなんて親指を立てているの様子がゲラを通してみえた)或いは私がボクサーで皆さんはセコンド。F1のピットイン。そんな手厚さも感じた。

そんなサポートの中から作品の扉絵が出て、あれほど素晴らしく作品を引き立ててくれる扉絵を私は見たことがなかった。事実、あれに何人かの方は反応されており、実際にちょっと読んでみようとなった筈だ。

「カメオ」掲載の群像7月号が発売されてから一ヶ月弱。周辺や、SNSやネットなど数多くの感想を頂いた。感謝、大感謝。

三蔵エゴサーチ之図

まずは「面白い」と言って頂けるのは、嬉しいと言うよりは、ホッとする。貴重な時間を割いて読んで頂くのだから、とにかく純文もオモロくなければ、なんてことを私は思う。

感想というのはありがたいし、そしてまた読んでいてとても愉しい。

改めて思うのは、批評(感想も含め)はやはりクリエイティブなものだということ。そこには読む人の個性がすごく出る。感想を比較すると、その人の人となりが見えるようだ。

文学は文章芸術でなく、想像芸術なので、その実体が顕れ、完成するのは、紙の上でなく、読み手の頭ン中。そしてそれは無限に広がる世界だ。

著者の意図を超え、考察の底を破って更に掘り、鉱脈を探りあてる。言葉の中にシグナルを光らせて繋ぎ、新たな座標を元に地図を、あるいは星座を描いて、その物語までも–−。そんな解釈や批評を読んでいて、参りましたー、なんて思うこともしばしば。

「カメオ」に、他者との距離感に注目する人や、移っていく名前を「憑依」と見て怖さを発見する人。胸くそ悪さ。自分勝手な要求にムカつきを感じる人。不条理。人間のエゴ。愛おしさ。繋がり。疾走感。人間の地図の外。言葉と言葉の間隙。カタルシス‥‥‥。

読んで頂いた方の見た、オリジナルの世界。その拡がりの豊かさに感動した。ほんとありがたい。

それから文芸時評。

6/30の読売新聞の朝刊「文芸月評」に取り上げて頂いた。

新聞記事だけど、やっぱり著作権の関係があるようで、載せられないのが残念。転載の利用申請ってのがあったが、これがメンドイ。メンドイし何かお金がかかりそうなので諦めた。すまん。

くっそー、何とか雰囲気だけでもみんなに伝えられへんやろか、と身をふるわせて呻吟しておったら、ちょうど良い感じのが撮れたので載せておく。

「和解」というキーワード。また「クライマックスのすがすがしさに、不器用に生きる人間を肯定したくなった」という締めくくりで、ありがたい評だった。

因みにラストに関しては私に聞こえてくる範囲では肯定的なのだが……。

感想をTwitterなどでお寄せ下さった皆様ありがとうございました。「カメオ」掲載の群像7月号は、書棚を8月号に譲りますが、また今後、「カメオ」を読んでTwitterなどで感想頂けたらとても嬉しいです。

(2021.0710追記)ダミアンさんがnoteで『カメオ』について書いてくれました。嬉泣。

004 タイトル詐欺(カメオ)

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「19世紀後期、イタリアで作られたというそれは、幾度も欧州の騒乱や戦禍をくぐり抜け、そしてサルドニア貝を削り出した乳白色の貴婦人の横顔は、東京を焼いたあの炎も赤々と映し出したのかも知れない。祖母から母、そしてわたしへと受け継がれてきたカメオ。けれど、今、わたしはそれを手放そうとしている––––」    (『cameo』本文より)

cameoってこんな感じか?

‥‥‥

なんて話じゃなくて、スマンな。残念、「亀夫」でした。

『カメオ』の「カメオ」は鼻毛とか出てる系の関西のオッサンの名前です。

もちろん記事の冒頭の文章は冗談だけど、    「カメオ」ってブローチとかの装飾品のことかと思ったわ! なんて感想を頂くことが私のまわりやTwitterでもいくつかあって、皆さんお洒落ですねぇ、なんて思いながら、勝手にお応えして書いた‥‥‥。

そもそも私は書いている時、カメオブローチんて名称も知らなかった。––––無知ですいません。あと、映画とかでカメオ出演てのもあるんですね。

Twitter等でいろいろご感想を頂いております。みなさん、本当にありがとうございます。今回は頂いた感想のアンサー記事でした。

003 「下世話な話」のつづき

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歴史ある五大文芸誌の新人賞受賞の言葉で、過去これまで、賞金、つまり賤しくも(下世話な)カネの話をした例があっただろうか? たまに、そのあたりに妙に詳しい人もいたりするが、私は知らない。

半世紀以上続く純文学の賞だ、やはりそこは高踏的なカッコいい言葉で、バシッと決めるべきだったんだろうけれど、私としては一番の功のあった飼犬に触れないわけにはいかなかった。

もしかすると受賞の言葉は、「群像」の公式HPにそのうちあがるかも知れないが、勝手に転載するわけには行かないので、読んでない人はバックナンバー(2021年6月号)でチェックして欲しい。※編集部の許可をとって「掲載・出版」から読めるようになった(2023年4月)

とは言うものの、なかなかそうもいかないだろうから、カンタンに内容を説明すると、私は受賞の言葉で、「下世話な話だが」と、いくらか貰える賞金で、本作のネタ元の飼い犬に(取り分として)高級スーパーでササミ肉を買ってやると宣言したわけだ。

「とかなんとか言ってもどうせ口だけで、結局は犬の取り分もガメてんだろ?」なんて疑惑を封じる為に、今回は件のササミ肉レポをする。

成城石井? いやいや、関西で高級スーパーと言えば、イカリスーパーだ。関西圏以外の人には馴染みがないだろうから分かりやすく言えば、コープには「コープさん」なんて親しみを込めて「さん」づけをするが、イカリスーパーとくると、「さん」づけでは済まされない。まぁ、つけるなら、イカリ様だ。

最近(2021.6)ネットで話題になった「よく使う関西のスーパーマーケットを分類してみた(改)」でも、やはり頂点に君臨するのは「ikari」だ。「富裕層御用達」の更に上、「特権階級」と書いてある。

イカリ様。写ってないが、巨大なホンモノ?の錨が店の前に据えてある。

最近はスーパーでお買い物をしても、袋をくれなくなって、お金を払って買って、もちろん自分で袋詰めをしなければならないが‥‥‥。そこにくるとイカリ様は違う。

袋もくれるし、必ずでは無いが大抵、レジ担当の人とはまた別の人が、買った商品を袋に詰めてくれる。

約束の、桃色にツヤツヤ光るササミ肉だ。

俺は。ボイルす。る。

ボイル。ハードに。ハードボイルドだ。

食えよ。思う存分。お前の取り分だ。

さすが高級(店の)肉。

脇目も振らずに食らいつく。

おい、うまいか? おい! どうだ?

「何だよ!うるせェーな!」とばかりに一度は振り向いたが、肉にガッツく彼が二度と此方の呼びかけに、振り向くことはなかった。

002 遅れてやってくる

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コロナ禍で、新人賞の受賞式は無いのだという。私は優秀作で、つまり佳作で拾われたのだけれど、当選作と優秀作。これが字面でもよくわからない。セッカチな友人は、私の方が「優秀」なんだと勘違いしていたが、ま、それはそのままにしておこう。

「群像」六月号の目次。当選二作(どちらも素晴らしい。未読の方には是非読むことをおすすめしたい)のヨコに、拙作「カメオ」も優秀作として載せて頂いたわけだが、最近は「鈍器」と形容されるほどに分厚くなった「群像」。それでも六月号の誌面には余裕がなく、掲載は七月号になると言うことだった。私が駄々をコネると、ますます背幅が拡がって、「鈍器」はいよいよ「箱」になりかねない。それはマズい。

号が変わろうといいじゃないか。いや、全然構わない。いえいえ、ありがとうございます。しかしそれはまた、なんだか受賞式に遅れ、緩んだネクタイで慌ててやって来た感がある。

いや、しかしちょっと待てよ。六月、七月。それならば、二か月連続で雑誌に私の名前が載ることになる。記憶はとにかく反復だと言うから、これは僥倖。

というわけで「群像」七月号 6/7発売です。

拙作「カメオ」も、立ち読みすると脚が痺れてくるくらいの長さはあるので、皆さん、是非、本屋さんで「群像七月号」買って下さいね。

001 ルシア・ベルリン「虎に嚙まれて」TigerBites.

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虎に嚙まれるとなるとタダではすまないが、耄碌してきたウチの犬も、最近は慌てることがあると誰かれ構わず嚙むことがあって、それは私も例外ではないので、やっぱり注意が必要だ。

群像六月号の目玉のひとつにルシア・ベルリンの訳し下ろし三篇がある。

本日はお休み、外は大雨且つ警報。ということで、子守執筆子守読書子守子守というルーティン。で、読書は「虎に嚙まれて」。メキシコでの堕胎手術がテーマ。私も堕胎について短編を書いたことがある(もちろん世に出てない)。切り口も毛色も全然違うけれど。ルシア・ベルリンのそれはどこかパンキッシュなユーモアがあって、それが乾いた土地の埃っぽい笑いになり、重い主題にも関わらずカラリとした明るさがある。ま、いっか的な軽やかさがこの人の魅力なんだろうなぁ、なんてこと考えて、ベッドに寝そべって読んでいた私が起き上がると、一緒に寛いでいた犬が驚き、私の太腿をがぶりと噛んだ。ほんとです。

扉絵のルシアがこっちを見てニヤけてる。

ルシアBベルリンは「虎に嚙まれて」松永K三蔵は犬に嚙まれた、というわけだ。

000 われに五月を

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群像六月号が来た。われに五月を

みどりに光る青春の爽やかさも無くし、もはや空に吸われるような軽ろやかなココロなどあるはずもなく、吸った空の方で咽せ返るような、そんな渋みを多分に含んだ歳になってしまったが、このみどり色の季節は、私にはより明るい色の季節になった。そうして五月生まれの詩人の、そんな詩句がふいと浮かんだ。

葉叢の中に身を沈め、緑青の光を肺いっぱいに吸い込みたい気分だったが、城春にして、草木ふかしなんて、ぱったりと全身をあずけられる適当な原っぱもないので、それは「群像」六月号に代わってもらった。