
ありがたい。「ひゅうごの宝」なんてもの大したものではないけれど、まあそういうコーナーなので、ちょっと不足していてもそこはもうノリで行こう、なんてことになったのかはわからないが産経新聞さんがインタビューしてくれた。
ありがとうございます!
松永K三蔵
ありがたい。「ひゅうごの宝」なんてもの大したものではないけれど、まあそういうコーナーなので、ちょっと不足していてもそこはもうノリで行こう、なんてことになったのかはわからないが産経新聞さんがインタビューしてくれた。
ありがとうございます!
松永K三蔵
これはもう!めちゃくちゃ嬉しい!!
山中賞といえば毎年二回、四国最大級の書店、高知県TSUTAYA 中万々店におられるカリスマ書店員、山中由貴さんが、半年に一番おもしろかった、どうしても読んでもらいたい本を選ぶのだ。
その知名度と注目度は全国クラス。当然本好きの人はどの作品が選ばれるのか注目している。既に12回。過去の受賞者には、例えば純文からも、川上未映子さんや阿部和重さんなどそうそうたる書き手の方がズラリ。
↓経産省の紹介記事
https://journal.meti.go.jp/p/36365/
それこそ新芥川・直木賞の前日に発表されるのだが、芥川賞×山中賞というのは初じゃないだろうか?
とにかくスゴいのが山中さんのPOPやフリーペーパーの作り込み、クオリティの高さ!そしてこの帯!堂々。高知県の中万々店で買えます!(山中さんから読者の方へ手紙もついてます)
今ならサイン本もある!
得意のイラストを活かして、本が読みたくなるワクワクする工夫が凝らされている。
絵がすごくうまい。漫画家志望だったとか。納得。
お店で配られる山中さんお手製のフリーペーパー。見てるだけで楽しい。
裏には山中さんからの読書の方へのお手紙。そして私の受賞のことば。
山中さんからいただいた山中賞のかわいい賞状。
そして発表動画。私の仕込んだネタ動画もうまくMIXしてくれた。ラストの緊張しまくってる私は飛ばしてくれ。汗。
オモロイ純文運動。オモロイ品質保証の山中賞をいただいたので邁進します! 「本なんてつまらない。純文学ってなに?」という人にまで純文学を届けるために。
松永K三蔵
2024年8月23日、帝国ホテルで行われた第171回芥川賞贈呈式のスピーチの内容を、一部編集して掲載します。
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十四歳の時、母に勧められた『罪と罰』を読み、私は私の『罪と罰』を書こうと思い、小説を書きはじめました。三蔵と言うこのペンネームも母の父、私の祖父の名前です。
母のことは、これまでいろんなところで書きました。
私はいつか、自分の『罪と罰」を書こう思いますが、『カラマーゾフの兄弟』はどうしても書けそうにありません。今日は父の話をします。
芥川賞のことを最初に口にしたのは父です。小説家を夢見ていた十代の私は、父から「芥川賞とっても食っていけないんだぞ!」と諭されました。
呆気にとられました。私は小説家を志していても、まさか芥川賞などとは夢にも思わなかったのです。夢みがちな私と違い、父は徹底したリアリストです。その父が、何を思って芥川賞などと口にしたのか。それはわかりません。
それから二十五年以上経って、私は芥川賞の候補になりました。
七月十五日、芥川賞の選考会の二日前。私は候補の報告も兼ねて、ひとりで暮らす父を訪ねました。久しぶりに外で食事をということになり、私は父の好きなお鮨をご馳走させて欲しいと言いました。
すると父は「スシローに行こう」と言うのです。私も寿司はスシローと決めていますが、今回ばかりは、回らない鮨でもいいのでは?と説得しました。しかし結局、スシローよりも少しいいお値段の回転寿司に行きました。
何でも好きなものをと私は言ったのですが、父はセットメニューから「これで」と一番安いセットを指すのです。
選考会の日、結果は18時か19時、当日すぐに電話をするから待っていて欲しいと頼みましたが、夕方は散歩や夕食の支度で忙しいのでメールにしてくれと父に断られました。
そして当日、私は芥川賞に選出され、すぐに父に電話をしました。が、やはり電話には出ず、私はメールで父に受賞を伝えました。返信は「良かったな」それだけです。
その後、会見をして、翌日から取材対応や挨拶まわり。移動中の車内や空港のロビーで依頼されたエッセイを書き、やっと関西に戻ったのは週が明けてからでした。
まず私は母の墓前に報告に行きました。それから、もう既に夕方でしたが、私は父にメールで「今から報告に行くから」と送りました。
父から返信がありました。
「まずは体を休めなさい」
偉大な父は、やはり今日もここには来ておりません。たぶんリビングで将棋でもさしているのだと思います。もちろん父もこの賞の大きさはわかっています。そして誰よりも受賞を喜んでくれています。
しかしおそらく父は私に、賞よりももっと大きな何かを伝えたいのだと思います。
私のペンネームの「K」は家族で一番多かったファーストネームのイニシャルです。父のファーストネームのイニシャルも、もちろんKです。今後、私は、このKの正式名を訊かれることがあれば、父の名前を名乗るつもりです。
松永K三蔵
XDマガジンにインタビュー記事を掲載していただきました!
テーマは「掘る」。
小説を書くことは自己を掘り下げること。
ただひとり、掘り下げて掘り下げていくこと。
それは光のささない洞穴であろうか。
いや、掘ったその先には、ひらかれているはずだ。
我々は球体の上に生きているから。
やるならとことん。突き抜けるまで。
XDマガジン、めちゃくちゃ高品質なので是非お手にとってみてください。
松永K三蔵
エルマガジンと言えば関西人におなじみの雑誌て、その誌面づくりはとてもセンスに溢れている。さりげなく持っているとオシャレだ。
特に私は「MEETS」が好きで、内容の充実はもちろん、とにかく誌面のデザインがずっと保存しておきたくなる格好良さだ。
そして今回のMOOK
書き下ろしスペシャルエッセイ「六甲山、修験ルートを歩く」を書かせていただいた。
https://www.lmagazine.jp/mook/MOOK6190878/
素敵な写真の表紙にも私が登場。ありがたいような、もうしわけないような。
もちろん内容もデザインもとてもいい。
内容充実。
そして巻頭には私のエッセイ。
……ちょっとこの撮影日の前日まで寝込んでいて、顔が内田百間みたいになっている。
それはさておき、このエッセイ、テーマは「開運」でもスピリチュアルに偏らず、霊場や磐座で感じる何か、にスポットをあて。ならばということで私はかねてから興味のあった六甲山の修験ルートを辿ることにした。そこで感じたこと、考えたこと、それをそのまま文章にしようと思った。
つまりどうなるかわからないルポ風のエッセイ。
半日かけて山道を歩く。23キロ。
いろいろ考えることができて、また書くことができた。私にとってもとても思いれのあるエッセイとなった。
読んでみてください。
松永K三蔵
集英社の文芸誌「すばる」の日日是好日はご存知だろうか?
あれおもしろい。書き手の撮った写真とともにエッセイが載る。3回シリーズのフォトエッセイなのだが、写真とエッセイがなんかいつもいい。
そんな「日日是好日」に私のフォトエッセイを載せていただいた!嬉しい!
3回シリーズ。第一回は、ズバリ「山」。
『バリ山行』でも出てきた神戸市東灘区にある西山谷に久しぶりに行って書いた。三年振りだろうか、、、。小説を書いていた時、やはり西山谷に来ていたが、その比較をそのままに書こうと思った。
もちろん写真は西山谷の写真。
なんだかアウトドア雑誌みたいになった。
あと、山で妻鹿さんのカップ麺残り汁おじやをやった。その写真もある。
どういうことで、読んでみてください。
松永K三蔵
もう年末。年末と言えば格闘技だが、私も格闘技は滅法好きで、もっぱらボクシング贔屓だが、もちろんヴァーリトゥード、総合格闘も大好きだ。
そんな総合格闘技みたいなのがこのダ・ヴィンチのBOOK OF THE YEARじゃないのか?オールジャンル横断の。2001年からってなかなか歴史がある。
作品を出す以上は比較されるのは仕方ないけれど、例えば純文学は純文学と「月評」などで比較される。しかしまさかエンタメやミステリ、SFとやりあうことになるのは、なかなか「タフ」な状況だ。エンタメの人たちってバケモンみたいな筆力でガシガシ書くイメージがあってスゴい。
とにかくランキング入れてもらえただけでもほんとありがたい。
こうやって読書を、本を盛り上げてくれるのは、書き手としても読者としてもほんとありがたい。「ダ・ヴィンチ」さん、ありがとうございます。最近いろいろお世話になっております。
私の『バリ山行』のランキングは誌面で確認してほしいのだが、注目作家としてインタビューを掲載していただいた。こちらも皆さん読んでみてほしい。
もうすぐ、『カメオ』(12/12頃発売)もでます!
皆さんどうぞよろしくお願いします!
松永K三蔵
小さい頃から育った街、そして今も暮らす街、「たのしみや、にしのみや」、そんな西宮市から文化芸術特別賞をいただいた。
小さい頃の私がそんな「未来」を聞いたら信じないだろう。私は走るのと絵を描くのが好きな、本など読まない子どもだった。
中2病の時にドストエフスキーを注射され、悪化したまま大人になった。好きな本を読み、書きたいことを書いてきた。それだけだ。文化芸術特別賞なんて柄じゃないが、大好きな街、西宮がそう言ってくれるのだからありがたい。
それから記念にいただいた西宮のマスコットの「みやたん」ぬいぐるみ。
この「みやたん」、すごく手触りがよい上質な「みやたん」だ。
そんな西宮市は来年市制100年!
いろいろイベントもある。私も少し参加させていただく予定です!
西宮のみなさん、どうぞよろしくお願いします!
松永K三蔵
茨城に帰った。私の〝郷里〟である。
ペンネーム「三蔵」は私の母の父、つまり私の祖父の名前で、私は今、その名前を受け継いで、(二代目)三蔵として生きている。母の、そして祖父三蔵の郷里は茨城であるから、するとやはり私の郷里は茨城なのだ。
私の創作人生の中で節目となる芥川賞受賞を機に帰郷するのは必然だが、忙しさにかまけてモタモタしていると、茨城県が、特別功労賞の表彰をしてくれるという。そしてなんと、私に「いばらき大使」を委嘱したいと言ってくれた。なんというありがたいお話だろう。
茨城県。県知事。時代が時代なら、水戸藩だ、藩主から播磨国の浪人風情の私に免状をくれるというのだから俄然、胸が高鳴る。馬ではないが、新幹線に乗って常陸の国に向かう。祖父や、母への恩返しにもなるというものだ。
日立の祖父の家を守ってくれている叔父と叔母がわざわざ水戸駅まで迎えに来てくれて県庁まで連れて行ってくれた。
まずは「いばらき大使」の任命式。知事室に案内される。大井川知事はまさにリーダーという感じで、爽やかでありながら風格があった。
知事と少し歓談させていただき、パリ五輪、フェンシング団体金メダリストの永野選手とともにいばらき大使を任命される。(控室では私はミーハー根性丸出しで、永野選手にねだって金メダルを触らせてもらった。優しい永野選手は私の首に金メダルをかけてくれた。これがすごく重い! 大変貴重な経験をさせていただいた)
そして県の表彰式。県に功績のあった多くの方と一緒に表彰を受ける。記念写真。茨城県に「三蔵」の名前が刻まれたのだ。
その後、祝賀会をしていただいた。
その足で、関西から遠くはなれた水戸の地でありながら私の『バリ山行』を、いつも売り上げ上位に押し上げてくれていた「丸善 水戸京成店」さんにお伺いした。
入り口のいい場所に『バリ山行』を置いていただいている。店長さんもとてもこころよくお迎えいただき、また百貨店の店長さま、宣伝の統括の方も呼んでくれた。感謝。
そしてお土産に上等な「干し芋」までいただいた。幼いころ、私もよくこれを齧った。ストーブの上で炙って、柔らかくして食べるのだ。
(あまりなじみのない妻が口にして、その美味に驚いていた。しかもヘルシー)
翌日、私は祖父のお墓を訪ねた。ついに訪ねた。
私は生来楽天家で、しかも忘れっぽく、恨みも含めて忘れてしまう。その時々を楽しんで暢気に生きているので、苦しいことがあったとしてもすぐに忘れてしまう。
なので苦節云々ということは正直言えないのだが、祖父のお墓の前に立って、フッと息を吐くように肩の力が抜けて思った。さすがに長かった。
二十五年以上。中学の時、母に文学というものを与えられ、〝何か〟を書き始め、母が亡くなった時、その墓前に小説家になることを誓った。それから二十五年以上。やはり長かった。祖父の墓の前に立ちそのことが思い返された。思えば小説を志したが故に追い詰められ、苦しんだこともあったけれど、小説があったからそこ、向かう場所はひとつ、強く明るく生きていけた。母が愛した祖父の名を受け継いで、今、それを名乗り、私は、私の本名でなく「三蔵」として認知されている。祖父は喜んでくれているだろうか。
お墓の前に芥川賞正賞の懐中時計を置く。日立の街の高台に祖父の墓所はある。この街を書こうと思った。いつか書かねばならないと思った。
それから日立の叔父の家の近く、館内の飾りつけ用にと、色紙を持って、南部図書館にもお邪魔した。
『バリ山行』は貸し出し中だと言うが、入り口近くに宣伝のPOPを大きく飾っていただいている。名乗ると、司書の方たちが大歓迎してくれた。幸い平日でそれほど混んでいなかったので良かった。
南部図書館にはマスコットがいる。芝生のような鮮やかなグリーンのクジラだ。「くじらちゃん」と言うらしい。潔いほどそのままだ。
私も多くの本を図書館で借りて読んできた。母から渡されたドストの『罪と罰』もやはり図書館で借りたものだ。図書館には感謝しかない。
本は売れてほしいが、それよりも私はひとりでも多くの人に私の作品に触れてもらいたい。(読んで買ってくれるかもしれないし……)
この表彰状は叔父にお願いして叔父の家に置いておいてもらうことにした。祖父の写真とともに。
私の茨城への里帰り。ここで私の文学の旅の区切りは、ひとつついた。またここからは新しい旅だ。
ところで、この県庁訪問が決まってからずっと気になっていたことがあった。茨城県の県章のこれ。
このぐるぐるの県章。アイツに似てる。ポケモンの、名前はわからんが、いた。調べた。
そうコイツ。ニョロゾとか言うらしい。おたまポケモンらしい。
茨城県の県章を見るたび思い出すのだ。私だけだろうか。
松永K三蔵
いや実は、この仕事、一度断ったというか、編集部に確認した。「本当に私でいいんですか?」
“角幡唯介”といえば高名な探検家だ。北極圏を歩いたり、チベットの未踏の谷間に挑んだりそんな人の新刊の書評に相応しい人はもっといる。服部文祥さんとか、荻田泰永さんとか……。あ、もしかして勘違いしているのだろうか?
一丁前に「山と渓谷」とかに登場して、めちゃくちゃ登ってる感を出してしまったから。純文山岳小説と銘打った、芥川賞受賞作『バリ山行』を書いた松永は、アマチュアながらも、相当な登山家だと。
違う。私はちょろちょろっと自宅近くの六甲山を彷徨っていたに過ぎない。それも5年くらい前から。つまり素人だ。
ええんか? ええのんか? と「波」の編集部さまに確認したが、素人目線でかめへんと言う。ほんなら、全編、「すげー、すげー、すげー」で終わっても知らんで、ほんまに。と思いながらゲラを送っていただいた。いや、内心はすごく、すごく読みたかった。この地図なし登山、しかも人里離れた羆がうろつく日高山脈。狂気の沙汰の山行記。めちゃめちゃオモロそうだ……。
いやほんと、素晴らしかった。奇しくも、『バリ山行』の覚醒後の波多とかなり近い感慨を書かれてある箇所があった。もちろん角幡さんのそれはもっと、もっと、何重も深淵なところからのものだけれども、私とてもその上澄を少しばかり感じられていたのかと思い、嬉しかった。
と言うことで『波』は、な、なんと、100円で買えるのだ。 そして、『地図なき山――日高山脈49日漂泊行』を買って読んでください。
書評、webで読めます!
https://www.shinchosha.co.jp/book/350232/#b_review_item_202412_03
松永K三蔵