042 帰郷。“三蔵”、茨城県より特別功労賞を表彰されて、「いばらき大使」になる。(お知らせ×日乗)

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茨城に帰った。私の〝郷里〟である。

ペンネーム「三蔵」は私の母の父、つまり私の祖父の名前で、私は今、その名前を受け継いで、(二代目)三蔵として生きている。母の、そして祖父三蔵の郷里は茨城であるから、するとやはり私の郷里は茨城なのだ。

私の創作人生の中で節目となる芥川賞受賞を機に帰郷するのは必然だが、忙しさにかまけてモタモタしていると、茨城県が、特別功労賞の表彰をしてくれるという。そしてなんと、私に「いばらき大使」を委嘱したいと言ってくれた。なんというありがたいお話だろう。

茨城県。県知事。時代が時代なら、水戸藩だ、藩主から播磨国の浪人風情の私に免状をくれるというのだから俄然、胸が高鳴る。馬ではないが、新幹線に乗って常陸の国に向かう。祖父や、母への恩返しにもなるというものだ。

日立の祖父の家を守ってくれている叔父と叔母がわざわざ水戸駅まで迎えに来てくれて県庁まで連れて行ってくれた。

まずは「いばらき大使」の任命式。知事室に案内される。大井川知事はまさにリーダーという感じで、爽やかでありながら風格があった。

知事と少し歓談させていただき、パリ五輪、フェンシング団体金メダリストの永野選手とともにいばらき大使を任命される。(控室では私はミーハー根性丸出しで、永野選手にねだって金メダルを触らせてもらった。優しい永野選手は私の首に金メダルをかけてくれた。これがすごく重い! 大変貴重な経験をさせていただいた)

写真は茨城県のXより

そして県の表彰式。県に功績のあった多くの方と一緒に表彰を受ける。記念写真。茨城県に「三蔵」の名前が刻まれたのだ。

その後、祝賀会をしていただいた。

 その足で、関西から遠くはなれた水戸の地でありながら私の『バリ山行』を、いつも売り上げ上位に押し上げてくれていた「丸善 水戸京成店」さんにお伺いした。

入り口のいい場所に『バリ山行』を置いていただいている。店長さんもとてもこころよくお迎えいただき、また百貨店の店長さま、宣伝の統括の方も呼んでくれた。感謝。

そしてお土産に上等な「干し芋」までいただいた。幼いころ、私もよくこれを齧った。ストーブの上で炙って、柔らかくして食べるのだ。

(あまりなじみのない妻が口にして、その美味に驚いていた。しかもヘルシー)

翌日、私は祖父のお墓を訪ねた。ついに訪ねた。

私は生来楽天家で、しかも忘れっぽく、恨みも含めて忘れてしまう。その時々を楽しんで暢気に生きているので、苦しいことがあったとしてもすぐに忘れてしまう。

なので苦節云々ということは正直言えないのだが、祖父のお墓の前に立って、フッと息を吐くように肩の力が抜けて思った。さすがに長かった。

二十五年以上。中学の時、母に文学というものを与えられ、〝何か〟を書き始め、母が亡くなった時、その墓前に小説家になることを誓った。それから二十五年以上。やはり長かった。祖父の墓の前に立ちそのことが思い返された。思えば小説を志したが故に追い詰められ、苦しんだこともあったけれど、小説があったからそこ、向かう場所はひとつ、強く明るく生きていけた。母が愛した祖父の名を受け継いで、今、それを名乗り、私は、私の本名でなく「三蔵」として認知されている。祖父は喜んでくれているだろうか。

お墓の前に芥川賞正賞の懐中時計を置く。日立の街の高台に祖父の墓所はある。この街を書こうと思った。いつか書かねばならないと思った。

それから日立の叔父の家の近く、館内の飾りつけ用にと、色紙を持って、南部図書館にもお邪魔した。

『バリ山行』は貸し出し中だと言うが、入り口近くに宣伝のPOPを大きく飾っていただいている。名乗ると、司書の方たちが大歓迎してくれた。幸い平日でそれほど混んでいなかったので良かった。

 南部図書館にはマスコットがいる。芝生のような鮮やかなグリーンのクジラだ。「くじらちゃん」と言うらしい。潔いほどそのままだ。

私も多くの本を図書館で借りて読んできた。母から渡されたドストの『罪と罰』もやはり図書館で借りたものだ。図書館には感謝しかない。

本は売れてほしいが、それよりも私はひとりでも多くの人に私の作品に触れてもらいたい。(読んで買ってくれるかもしれないし……)

この表彰状は叔父にお願いして叔父の家に置いておいてもらうことにした。祖父の写真とともに。

私の茨城への里帰り。ここで私の文学の旅の区切りは、ひとつついた。またここからは新しい旅だ。

ところで、この県庁訪問が決まってからずっと気になっていたことがあった。茨城県の県章のこれ。

このぐるぐるの県章。アイツに似てる。ポケモンの、名前はわからんが、いた。調べた。

そうコイツ。ニョロゾとか言うらしい。おたまポケモンらしい。

 茨城県の県章を見るたび思い出すのだ。私だけだろうか。

松永K三蔵