本はあまり売れなくなって、書店は閉店が続くけれど、書きたい人は右肩上がりに増えているという。パソコンやスマホの普及、そんなツールのおかげもあるだろう。
しかし、あるいは「書かざるを得ない」人も増えているのかも知れない。
私は、小説を書くことは楽しいが、「書かざるを得ない」ということもある。それが幸福と言えるのかと問われれば、わからない。
書かざるを得ない人が増えているというのは世の中的にはあまりいいことではないだろう。本来、人間は衣食住足りて、そこそこのサーカスと(嘘でも)それなりに希望があれば、別段あれこれと考えることはなく、その日一日、それぞれ意識せぬ諦念の中にも幸福に寝床に帰り、また翌朝起きて、そうして一喜一憂しながら死ぬだけだ。
生きていれば、不意に悲劇に見舞われることはあって、しかしそれだってちゃんと納得いくように解釈、注釈、辻褄合わせが用意されたり、自らつくりあげたり、「まぁそういうもんやから」と自らポンポンと頭を叩いて、納得して折り合いつけて、今現在のこの時代と社会との常識に照らし合わせて、生きていくのがある意味で「人生」というものかも知れない。
ところが中には、その悲劇の打ちどころが悪かったり、往生際が悪いというか、物分かりがよくない人たちがいる。納得がいかないという。ちょっと言わせてくれと言う。いやお前、そんなことより目の前のさ、実地の生活をしろよ。しますよ。した上でちょっと言わせてください。なんて奴は余計に始末が悪いのだけれど、まあ、つまりはそういう人たちが小説を書かざるを得ない人種というわけだ。
そういう小説家志望の人に、私の経験がどれほど役に立つのかわからないが、うまくインタビューしてくれたので読んでみてほしい。
もちろん小説家というのは一応はプロ、つまり原稿料をもらう人だろうけれど、原稿料が出ようが出まいが、一言物申したい人は、物言い続けるだろうから、小説を書くというところの「本当」はまさにここにあるのだと思う。
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松永K三蔵