帯を書く。つまりは新作のキャッチコピーだ。とても重要な仕事だ。しかも敬愛する兄さん、山野辺太郎さんの著作。
責任重大。書店で本を見た人はタイトル、著者名、そして帯を見るのだから。私もそうだ。
帯には、その本の魅力とウリが書かれているから。練りに練った果てに僅かに抽出されたエスプリが匂い立つようにあるのだ。
さて、今回私はそれを作る側だが、気の利いたことを言えるだろうか。
山野辺さんの『大観音の傾き』は河北新報の連載小説だったので、私は途中まで読んでいたが、ゲラをいただき改めて読み、一気に通読。
結論から言うと、この「仕事」はイージーだった。
なぜなら、読後、いや読んでいる最中から溢れでてくる。エスプリが、私の想いが。気の利いたことを考えるよりも、ありのまま書きたいと思った。もちろんいろんな考察はできる作品だ。山野辺さんはそのユーモアや抜け感に、遠大な企みを韜晦する作家だが、そういうことよりも、ただ、私が感じたままに。
泣いた。泣いたよ。
読んでほしい。そう思う作品を読ませていただき、また帯を書かせていただいたことに大観音。
松永K三蔵