作詞をさせていただくことになった。
故郷、茨城県日立市の中学校の校歌の作詞をすることになった。学校の再編で坂本中学校と久慈中学校が合併し、新たに「松風中学校」が誕生した。その校歌の作詞。
最初にお話をいただいた時、実は躊躇した。私のような者が校歌の作詞などをして良いのだろうか……。
それに、小説は30年書いてきたが、作詞はしたことがない。同じ言葉だけれども。
しかしよく聞けば、在校生徒のみなさんや地域の方が歌詞の言葉の案を出してくださるという。そうか、一緒に作らせてもらえばいいのだ。そう思った。……皆さんの言葉を繋ぐ裏方であれば。
それに、まだまだ未熟者の私ではあるが、いずれ作詞として私の名前を喜んでいただけるように、自分へのプレッシャー、戒めとしてお受けしよう。そうも思った。

今月の初旬、改めて日立市を訪れ、日立市の各所をご案内いただいた。
風神山から。

最初は霧がかっていたが、風神さんの像をお参りしてもどると奇跡の快晴に。
そして旧坂本中学校



まだ生徒たちの声が聴こえてきそうです。
そして旧久慈中学校に。(現 松風中学校)

三蔵じいちゃん。見てますか? (私の筆名の三蔵は祖父から)「三蔵」の名前が日立の松風中学校に記されますよ。
と、見ると旧久慈中学校の校歌を作詞をされたのは川崎三蔵さん。名前というのは不思議だ……。こんな巡り合わせがあるのだろうか。


思い出の久慈浜。私も毎年ここで泳いだ。海といえばここ。私の海はここにしかない。

久慈浜の灯台。

そして青春時代の彷徨いの中、偶然見つけた啄木の歌碑。「何事も思ふことなく いそがしく 暮らせし一日を忘れじと思ふ」

祖父の家(現 叔父の家)の近所にある泉が森

幼い頃、よく祖父と泉の水を瓶に汲みに行き、私はその水を祖父とともに飲んでいた。(当時はOKでした)

私の身体にはこの泉の水が流れている。
翌朝、また浜辺から曇り空の久慈浜を見て思う。

この海だ。母と、兄と親しんだ海。波に巻かれて死にかけた海。私の全身をつつみ偉大な力で持ち上げて押し流し、大きな存在を感じさせてくれた海。

「遊泳禁止」波が荒く濃霧のこの日はそう表示がしてあった。

浜辺で遊ぶ海水浴客。
私はどうしても波に巻かれて思い出したかった。あの海を。波を。そしてこれは大事の前の、私の斎戒沐浴になるだろう。

するとまさかの「注意して遊泳ならオッケー」というアナウンス。
行くしかない。濡れたハーフパンツは歩いていれば乾くだろう。45歳。おっさん。ひとり波に向かって駆け出した。中学生らしい男の子たち四人が歓声をあげながら追ってくる。私も勝手にその中の一員になって波に飛び込む。

ドッという波の圧、力、水飛沫。舌を出して汐を舐める。盛り上がる波の山を超えて沖に向かう。巨大に立ち上がる波の懐に潜り込む。トクトクと音が消えて海に呑まれる。
あぁ、何も、あれから数十年経ったが何も変わらないのだと、私は気が遠くなるようにそう思う。

もしかすると、私もあの頃から何も変わらないのかも知れない。そんなことを考えながら「やばい!やばい!」を連呼する中学生の“ともだち”の声を聴きながら、一時間近く私は波の中で遊んだ。
おまけ
いつも大変お世話になっている日立市立南部図書館にもご案内いただきました。


松永K三蔵コーナーが二つも。大感謝。
ご案内いただきました教育委員会の皆様、松風中学校の校長先生、教職員の皆さま本当にありがとうございました。
一緒に良いものをつくりましょう!

松永K三蔵


















