022 絵金を観に行く 天王寺へ

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先月、天王寺に絵金展を観に行った。あべのハルカス美術館。「幕末土佐の天才絵師 絵金」2023年4月22日(土)~ 6月18日(日)

ということで扉絵は、絵金の白描風自画像(サブ執筆マシーンとして導入したiPadで描いてみた)

松永K三蔵之図

あの絵金が来るとは。‥‥‥僥倖。コレってなかなか珍しいんちゃうん? なんて考えていると、高知県から絵金が出るのは半世紀振りとのこと。あ、そら久しぶりやわ、などと思っておったら、半世紀前はまだ私も生まれていないのだ。

絵金、エキンと言うけれど、待て、待て、絵金て誰や?

北斎や若冲などのビッグネームをいちいち説明されるなんてのは興醒めだけれど、逆に、あまりメジャーでないものを、「もちろん知ってるよね」とばかりに、こちらが知っている前提で話を進るようなイケ好かん奴もおる。そんでもってそういう奴は「え? あ、知らないの!?」までがセットになっているので、ひどく閉口だ。(これは小説家でも)微妙に知られているものはその塩梅が難しい。私はイケ好いた奴なのでちゃんと説明する。安心して欲しい。

絵金。土佐ゆかりの絵師として知られる。幕末から明治に活躍した市井の絵師。名前はいくつかあって、絵金というのは愛称で、名は弘瀬金蔵。絵師の金蔵、略して絵金。

狩野派で絵を修め、通常十年掛かるという一字拝領(免許皆伝)を三年で受けるという天才振り。土佐に帰って、町人でありながら若くして土佐藩の御用絵師までになる。これは士分扱いだというからスゴい。

ところが贋作疑惑をかけられて失脚、狩野派からは破門。絵は焼かれ、追放されて、町絵師となって絵師金蔵を名乗る。町絵師、つまり町の人に求められて、絵馬や提灯、幟などに絵を描いたらしい。今でも言えばデザイン事務所か看板屋だろうか。「あの看板屋のおっさん、実は、元御用絵師らしいで」というのだからカッコいい。ロマンがある。

ロマンはあるが、しかし金蔵本人は御用絵師の立場を逐われ、失職。夢のような栄達から一気に転落。その愁嘆、悲憤はいかばかりであったろうか。断腸、呻吟ぐうぐうと悔しさのあまり哭いたであろう。呻いたであろう。真偽のほどはわからないが、大出世を妬まれ嵌められて贋作疑惑を掛けられたという説もある。小説家ならば恨みの言葉を残すところだろうが、絵師の金蔵は描いた。塵芥にまみれて芝居屏風絵を描いた。血みどろ絵と呼ばれる絵金の絵。己の魂魄を叩きつけたように、そこにはとんでもない気魄が籠っている。

絵の転載とかは、いろいろ権利の問題もあるかも知れぬので、各人「絵金」でググって欲しい。

絵によっては結構グロいので、グロいのが苦手な人は要注意。てか、そんなグロいのを展覧会で公にしてエエのんかいな? 絵金ってアングラやろ? とか思いながら。そんな絵金を町中で公開する土佐の絵金祭なんて奇祭については後述する。

とにもかくにも私は休みが取れた平日に、天王寺へ。あべのハルカス美術館に絵金を見に行ったわけだ。

朝は地元のコーヒーショップで小説の原稿を書いて、阪神なんば線で一路難波に。難波から天王寺までは、織田作を想いながら通天閣を潜り、動物園を抜けて茶臼山町を歩いて行く。梅雨の最中で蒸せて、ひどく暑い。

絵金。その名を私に教えてくれたのは、ある友人だった。そんなことを思い出しながら工事中の大阪市立美術館の前を歩く。今はすっかり疎遠になってしまって、連絡先も定かではない。共通の友人、もいるにはいたが、やはり疎遠になっている。

確か最後はヘルシンキ、そんな異国の街に彼が旅立つ前に会っただろうか。もう何年も前のことだ。ちゃんと日本を出国できただろうか。いや、出国はできるのだろうが、ちゃんと入国できただろうか。当時、私はふとそんなことを心配したのだった。

絵金、良かった。二曲一隻屏風、浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森。初めて見る生の絵金。その迫真の力に私は総毛立った。

点数はそれほど多くないようだが、土佐で毎年夏に行われるという絵金祭りを模したキュレーションが面白い。薄暗い中に灯りが点り、闇の中に絵金の「血赤」が怪しく映える。

やはりグロいのが苦手な人や、お子様には刺激がキツいかも知れない。芝居絵、つまりは時代劇だから刃傷沙汰や切腹、自刃、生首なんてのがバンバン出てくる。切腹した腹から内臓が溢れ、自刃した首から鮮血が滝のように流れて落ちる。ヒィーって、かくいう私もグロいのは苦手。

土佐の絵金ゆかりの赤岡町の絵金祭では、そんな絵を、街中のあちこちに展示して老若男女が鑑賞して楽しむというから、なかなかの奇祭。

絵金の芝居絵。芝居絵はつまり歌舞伎、浄瑠璃などの物語を下敷きにした絵だけれども、いつも思う。でも侍の時代ってこのくらいドぎついよねって。それはちょうど、お茶漬け食って酒飲んで、ごろんと昼寝していて起こされて、あ、もうそんな時間? とか言ってサクッと切腹しちゃう鴎外の『阿部一族』に見る異様さ。あるいは山中義秀の『土佐兵の勇敢な話』の凄惨さ。(堺事件は鴎外も書いているし、漫画なら平田弘史の『日本凄絶史』これも凄まじい)実際はいつも血みどろで、我々が見せられ来たTVの時代劇でキンキン、ビシ、うわぁ、バタ。なんてシロモノじゃないのだ。私はグロいのは苦手だが真に迫ったものは好きだ。

平日にも関わらず、かなりの人だった。上方は文化が豊かでいいですね。血みどろ絵金。そう言えば数年前、兵庫県立美術館でやった「怖い絵展」(残酷な絵多数)なんかも大盛況だったと言うから、皆さんお好きですよねえー。

ミュージアムショップで目当ての画集を買う。グッズもある。絵金さん、ここぞとばかりにコラボしている。チロルチョコとかいろいろ。衝撃なのがミレービスケット。この土佐名物のビスケット。めちゃくちゃ美味くて、私もよくコーヒーのお供に買うのだけれど‥‥‥

いやいやあかんでしょ。「ね、お母さん、オヤツは?」「ミレーがあるでしょう。それ食べといて」「ギャ〜!」鮮血ドバーッてあかんやろコレ。なに血みどろでコラボってるねん。(花上野誉石碑 志度寺 乳母お辻烈婦像)

さて帰りは通天閣の下、昼過ぎ、伽藍堂の、暗い店内で観光客よろしく串カツを食し、炭酸水を飲んでまた考えた。私に絵金を教えてくれた友人はどうしているだろうか。

狭い六帖ほどの居室兼仕事場で、「これがね、ごっついんですわぁ」と彼は禁書でも見せるように、爛々と眼を光らせて絵金の画集を私に見せてくれた。

衝撃を受けた。腹を切る男、滴る鮮血、乱舞する童。下敷の芝居絵の背景や筋が分からぬから常軌を逸したその絵は余計におどろおどろしい。しかし同時に私にはコレや! この迫真や! という興奮があった。極彩色の絵金の屏風絵、それを開いて見せる彼の脚にもまた極彩色が地続きで広がっていた。

外国の入国シートには身体の特徴なんかを書かされたりすることがある。彼は大丈夫だったろうか。彼は全身が極彩色で覆われている。でも大丈夫だろう。彼はヘルシンキのタトゥーイベントのguestとして呼ばれた彼の師匠の同行者なのだから。

彼もまた、絵金と同じく何度か名を変え、いくつか名前を持っている。彼ら彫師は大抵の場合、彫◯と名乗る。ここでは仮に「彫真」としておこう。

彫真、今どうしている? すまん、借りたオルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は結局預かったままだ。素晴らしい本だった。いつかの部屋の漏水で濡れてしまったので、もし会えたら新しい本を買って返す。それに読みたがっていた俺の小説もオマケでつける。

「絵金祭、いっぺん行ってみたいんですよねぇ」と言っていたっけ? 七月。コロナから復活した去年に続き、今年もやるようだ。行こうや。俺もゆこかな。天王寺から高知まで、絵金を追いかけて。

ところで俺も今は名前を変えている。歳食ってちょっと見かけも変わってるかな。だから分かるように俺は「三蔵帽子」被ってるから、もし祭りで見かけたら声を掛けてくれ。あ、それから七月は宵でも暑いだろうけれど、ちゃんと長袖、長ズボンで来るんやで。

松永K三蔵

※七月の絵金祭はルポ風のエッセイにまとめたい。

016 はじめた瞬間、終わっちゃうんよなぁ感覚。

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貴船山にて

待ちにまった旅行の前夜、あるいはその道中、不意に「でも終わっちゃうんよなぁ」感覚に襲われる。愉しみの只中に、あるいはそこに足を踏み入れる瞬間に、何かふと冷たい布で顔面を撫でられ、愉しい気分に水をさされるような、あの感覚。

あの感覚はなんだろうか。元来私はひどく楽天家で、あまりの能天気さに呆れられ、たしなめられることが多いくらいなので、沈鬱な面持ちで、未来を暗がりに沈めて見るようなペシミスティックなことはしないのだが‥‥‥。それでもどうかして、愉しいことをはじめようとすると、そんな不意の寂寞がやってくる。余所行きの外套の裏地のようにペタリと貼りついてくるそれはなんであろうか。

無常感、なんて大袈裟なものでなく、禍福は糾える縄の‥‥‥、いや、そういうこととも少し違う。愉しみに懦い心が構えるのか。過ぎ去った愉しみを思い返すだけの"日常"への備え? いや、そうでもない。

愉しみ向かう自分を、ふわりと浮き上がって遠く俯瞰しているような、そんな醒めた目に近い。

そんな感覚を引き摺りながら私は夏休みを過ごした。京都に向かい、叡山電鐵で京都の町の北部、貴船山にひとり登った。

街に戻ってからはホテルの近くのコーヒーショップで朝晩原稿をして、三高時代の織田作ゆかりのSTARに行ってやっぱり原稿をして、焼肉を食べ、ラーメンを食べ、そしてやはりそれは過ぎ行くのだけれど、終わってゆく愉しみ最中、それを自ら切断し、切り取り、コマ送りのように瞬間、瞬間の「終り」を感じ、痛み、滲み、歯軋りするのだった。

まったく子どものように熱狂し、白熱し、時を忘れられればよいのだけれど、愉しみのウラにあの”日常”を忘れない。これが大人の”疲労”というものだろうか。そうかも知れない。

昨晩、今朝の原稿の微妙な出来に落胆し、ホテルに戻り、荷物をまとめチェックアウトする。そうして私はまた”日常”に帰って行くのだが、すると今度はまた意外にも肚の底でふつふつ噪ぐものがある。それは期待感のような、心が躍る感じに近い。

そこで私は気づく。私の感じていた感覚は、大人の”疲労”なんて、そんな臈長けたものでなく、私の中の、寧ろ若い心が、ともすれば浅ましいほどの貪婪さが、あらゆる感覚を貪ろり食ってやろうと騒いでいたのじゃなかろうか。

私はいい歳して、ひとり焼肉を食べた翌日にラーメンを食べるような強慾な性質だから、愉しみはもちろん「終わっちゃうんよなぁ」の哀切も味わい尽くしてやろうと、手を擦り合わせながら興奮していたのだろうか。落ち着けよ。

少しはそんな反省をしながら、私は阪急電車京都線特別仕様の「京とれいん」で帰ろうとしたが、目当ての電車は過ぎ去った後であった。

松永・K・三蔵