011 純文学新人賞おぼえ書き②

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前回010のつづき。

で、考えた創作サイクル。

1月〜3月は『新潮』。4月は構想や調査(取材)、もしくは筆休めに短編を書く。5月〜7月で『文學界』。8月〜10月は『群像』。できれば『群像』には早めに出して、11月〜12月で「太宰賞」に。そんな感じ。

基本的には150〜200枚の中短編

一年間をこの締切で縛る。「俺締切」。これでいくとホント休む暇がない。誰からも求められてないんだけれど、勝手にめちゃくちゃ忙しい。五大文芸誌の新人賞全部に送る人もいるらしいけど、私には無理だった。無理に書いて作品が薄くなっても意味がないしとか思いながら。

もちろん毎日書く。一日休むと10枚くらい遅れる。ちょっと筆が迷ってもすぐ遅れる。そのリカバリーに時間を捻出しなければならない。それでもやっぱりピンチ、締切が! 担当編集者に怒られる(妄想)。毎日の進捗枚数を手帳に書く。試行錯誤。編み出す。創作方法、創作術。自分なりのメソッド。そんなのが生まれてくる。道具、持ち物、そんなものもいつしかプロパーのツールめいてくる。

ノートパソコンと創作ノート、手書きノートをいつも持ち歩いて、スキマ時間があれば書く。アレも書きたいし、コレも書きたい。幸いネタは尽きないのだ。ポコポコポコポコ沸いてくる。

書く、推敲、推敲、投稿。すぐに次。書く、 推敲、締切やばい、推敲、投稿。次、書く。結果発表−−は気にしない。ありがたいことに、わざわざ雑誌を見なくても最終候補に残ればちゃんと向こうから電話をくれるのだから。それ以外は誤差だと思って気にせずにおく。一喜一憂して筆がブレることの方がマズい。どんな傾向の作品が、どんな人が受賞したのか? それは自分と、自分が書きたいことと関係あるか? そんなことよりも「俺締切」。次だ、次。次を書く。推敲。投稿。そんで次。“雑音”を消し、この繰り返し。

実際のところ、これが良いのかわからないが、とにかくそんなサイクルで淡々と孤独に筆を進める生活には、書くことの単純な幸福と、作品が仕上ってくる歓びがある。

とは言え後日、流石に気になって、フラフラと書店や図書館に立ち寄り、発表号の誌面を見ることもあった。

「あ、ない‥‥‥」と分って、ガーン!とショックを受けるけれど、雑誌を閉じ、書店から出て三歩歩けばもう忘れる。というのは大袈裟だけれど、それよりも今書いてる作品に集中している。一次落ち? それは半年前の話だ。それほどショック受ける必要はない。半年前。この時差がちょうどいい感じなのだ。

そしてある日、「その時」がくる。その日、私はたまたま仕事が休みで、朝は執筆、その後はボクシングジムで若者と殴り合って帰宅したところだった。「03-」東京から電話番号の着信を見て、勤務先の本社だと思って「うわ」と思ったが、「群像編集部です」と留守電が残っていた、というわけだ。

で、それからも結果まではしばらくあるが、「俺締切」から解放されるわけじゃない。今書いてる作品を書く、推敲。この繰り返し。結果、候補作の『カメオ』は「群像」の優秀作に滑り込みをしたわけなのだが、それでもやっぱりこのサイクルは変わらない。その日もその翌日も当然に書く。「俺締切」があるからだ。

『カメオ』ゲラの修正。そんなことにスケジュールを少し組み直して、別の作品の続き。これまでと変わらない。変わったことは、つまり、投稿先が担当編集者に変わったのだ。

おしまい。

というのが、私の新人賞おぼえ書き。こんなドタバタした話に需要があるかどうかわからないが、ひとつの事例として書いておく。

待て〜! なんか、こう「傾向と対策」みたいなものがあるだろう! と言われるかも知れないが、無い。賛否はあるだろうし、あくまで「私の場合は」という但し書きをつけておくが、「傾向と対策」とかは要らないんじゃないだろうか。トレンドなどは知ってしまうと意識せずとも、どうしても「寄る」のだ。筆がブレる。傾向と対策。それを調べつくして、無理な姿勢から、精巧なイミテーションを作り上げても、自分に残るのは痛みばかりで、創作の歓びはないだろう。

新人賞に関しては、高名な小説家の指南書や、ハウツー本、業界の方の情報がたくさんあるだろうから、そちらを参考にした方が絶対いいだろう。が、

群像新人文学賞の選考委員の町田康先生は、私が新人賞に思うそんなことを、とてもシンプルに、的確に書いておられる。「いろんなことを気にせず自分が面白いと感じることを書き其れが面白ければ大吉」 孤高の先生らしい言葉だ。

書く、仕上げる。そこにある自分自身の単純な創作の歓び。本来それだけで良いのかも知れないが、その先にデビューして、多くの人に、届けたい人に、届く可能性のある仕組みに関われることは最高だと思う。

デビューしても、創作することは変わるわけじゃない。変わっていないが、それでいい。いや、それだからいい。自分の中のことばと、書くという行為が互いに静かに折り合って馴染み、やがて熔着し、ひと続きになって繋がっていく。その心地よさ。書くということの単純な幸福と歓び。それに浸れている間は私は大丈夫なのだと思う。

009 積書(き)

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読書家諸氏の間では「積読」なんて言葉は、すっかり定着したが、その起源はかなり古いらしい。しかし近年の普及と定着には、アプリの「読書メーター」が一役買ったのは間違い無いだろう。いずれにしても良くできた単語で、字面と音、名詞でありながら、なんだか動名詞のようであり、「つんどくー」なんて、どこかとぼけた現代的なニュアンスもあっておもしろい。まことに滋味深い言葉だと思う。今さら解説は不要だろう。

では、「積書(き)」というのはご存知だろうか? 知らない? 私も知らない。私が創ったから。(元祖がいたらスマン)ちなみに見積書のことではない。

つまり、積読と同じで、追いつかないで積み上がったモノだが、これは読みではなく、書き。

小説の創作の作業工程は、彫刻なんかに近いんじゃないかなぁ、なんてことを私は昔から考えている。いや、エルトン•ジョンじゃないけれど、実際に彫刻を彫ったことはないので、あくまで想像だが‥‥‥。

←積読   積書→

まずは手彫り(手書き)で全体をざっくり彫り上げて、それから何度も何度も繰り返し削るようにして、フォルムを出していく。そこから慎重に細部を刻み込んでいく。プゥーッとカスを吹き払って、また削り、更にヤスリで磨き、プッと粉を払ってまた磨く。すると徐々にてらてらと光ってくる。血が通い、動き出すこともある。

ロダンは彫る前に、材料の石の中に既に作品があると言う。なるほど、それなら私もそうだ。

物語が埋まった石が頭ん中に積みあがっている。ひと抱えほどある中編から手頃な短編。身の丈に余る大長編から、手の中にすっぽりと収まる、文字通りの掌編まで。の石。

そして、そんな石は毎日増えていく。笑って増えて、泣いて増え、バカ野郎!とドヤされて増え、胸を衝かれて増え。出会って増え、サヨナラをして、また増えて。切なくなって増え、哀しくて増え、恨んで増え、キレて増え、反省して増え、虚しくなって増え、誰かを想って増え、あのコを思い出してやっぱり増える。そんな右往左往の取り乱した生活の中で、私の石は無尽蔵に増えていく。

面白いのが、この石はある時すっかり消えて無くなっていたり、いつの間にかくっついて、見上げるほどの巨岩になっていたり、逆に手頃サイズに縮んでいたり。

しかし、とにかく私は書くのが追いつかない。だからいつも積んである。

積読もバカみたいにあるけど、積書きもまたバカみたいにあるのだ。だからとにかく毎日書くしかない。あ、秋。

008 書く場所考

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どこで書くか。

頭の中の繰り広げられる創作も、やはり書くという行為とその作業空間が必要なわけだ。昔、大音量で鳴るクラブのスピーカーの前で熟睡していた友人がいたが、そんな、どこだって寝られるという人みたいに、どこだって書けるよ、なんて人もいるだろうか。

自宅の自室(書斎)、リビング、トイレ、図書館、カフェ、ファミレス、車の中、電車の中、公園……。

小説がありがたいのは、今ならPCだけども、最悪、紙とペンがあれば、どこでも執筆場所になる。

小説を書くには繊細な感性で云々、などは言うつもりはないけれど、私も書く場所にはこだわる。こだわると言うより、書く場所は生産性にかなり影響する。

ものを書く人の執筆場所として、一番多いのはやはり自宅だろうか?

ありがたいことに、私も自宅に自分の部屋があり、書斎と言って差し支えない大机と椅子、それに本棚がある。が、私は家がダメで、ついつい他のことに気を取られて怠けてしまう。だから締切りがあるとか、余程追い詰められていないと家では書かない。では、どこで書くのか。一番書けるのはカフェ。コーヒーショップ。

そもそも小説家とカフェというのは親和性の高いもので、好一対とも言える。本とコーヒー。コーヒーと煙草。煙草と小説家。煙草は随分前にやめたけれど、とにかくそれらはぴったりで、連想ゲームのように繋がっていく。

例えばサルトル行きつけのカフェ・ド・フロール。サンフランシスコのカフェ・トリエステならケルアック。そんな文学にゆかりの深い有名なカフェもたくさんある。

いつか行きたい Caffe Trieste.

しかしカフェであればどこでも良いわけじゃなく、私にはいろいろ神経質でワガママな注文がある。

カフェなのでお客さんがいるのは仕方ないが、うるさ過ぎず、タイピングするので静かすぎず、声が反響するほど広すぎず、滞在時間が長くなるので、目立たないように狭すぎず、それも個人店ではなくチェーン店が良い。チェーン店の方が放置してくれ、長居に寛容だと思う。それに個人店で行きつけになると確実に認識されて、「何してるんですか?」となる。「いや、別に……」と逃げてもいずれ拿捕される。毎日行くと、チェーン店でも店員さんに認識されるが、まだ適度に見守ってくれる。

それから更に、空間的配置の注文をすれば、背後が壁の席が望ましい。後ろに誰かいると集中できない。もっと言えば前にもいないで欲しい。それ故に、理想なのはある程度広い店の、ちょっとデッドスペースなんかを利用した座席となる。

そんな都合のよい店あるのか? と思うかもしれないが、ある。これは内緒だが、あるのだ。

それからコスパ。やはりコーヒーが高いと困る。毎日のことなので重要。そう考えると、やはりあのチェーン店になるのだが、もうこのあたりでやめておこう。

それからカフェの他に、書く場所と言えば、サイゼリアなんかが良い。短時間ならスーパーやコンビニのイートインもなかなか。電車の中はかなり追い詰められた時。公園、良いのだが、あんまり長くいると通報されかねない。山の中、これは手書き限定だけども別の意味で良い。図書館は意外とダメで、自分のタイピングがうるさいのと、あと本が気になる。車も微妙。あと私はホテルもダメだった。

ということで、書きものをしている皆さんは、どこで書きますか?