045 第12回 山中賞受賞しました!『バリ山行』(お知らせ×日乗)

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これはもう!めちゃくちゃ嬉しい!!

山中賞といえば毎年二回、四国最大級の書店、高知県TSUTAYA 中万々店におられるカリスマ書店員、山中由貴さんが、半年に一番おもしろかった、どうしても読んでもらいたい本を選ぶのだ。

その知名度と注目度は全国クラス。当然本好きの人はどの作品が選ばれるのか注目している。既に12回。過去の受賞者には、例えば純文からも、川上未映子さんや阿部和重さんなどそうそうたる書き手の方がズラリ。

↓経産省の紹介記事

https://journal.meti.go.jp/p/36365/

それこそ新芥川・直木賞の前日に発表されるのだが、芥川賞×山中賞というのは初じゃないだろうか?

とにかくスゴいのが山中さんのPOPやフリーペーパーの作り込み、クオリティの高さ!そしてこの帯!堂々。高知県の中万々店で買えます!(山中さんから読者の方へ手紙もついてます)

今ならサイン本もある!

得意のイラストを活かして、本が読みたくなるワクワクする工夫が凝らされている。

※「ポップ」なかましんぶん編集長さんのXより
※「なかましんぶん」なかましんぶん編集長さんのXより

絵がすごくうまい。漫画家志望だったとか。納得。

お店で配られる山中さんお手製のフリーペーパー。見てるだけで楽しい。

裏には山中さんからの読書の方へのお手紙。そして私の受賞のことば。

山中さんからいただいた山中賞のかわいい賞状。

そして発表動画。私の仕込んだネタ動画もうまくMIXしてくれた。ラストの緊張しまくってる私は飛ばしてくれ。汗。

オモロイ純文運動。オモロイ品質保証の山中賞をいただいたので邁進します! 「本なんてつまらない。純文学ってなに?」という人にまで純文学を届けるために。

松永K三蔵

044 第171回 芥川賞贈呈式受賞スピーチ 全文掲載(編集あり)「父について、イニシャルK」

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2024年8月23日、帝国ホテルで行われた第171回芥川賞贈呈式のスピーチの内容を、一部編集して掲載します。

********************

十四歳の時、母に勧められた『罪と罰』を読み、私は私の『罪と罰』を書こうと思い、小説を書きはじめました。三蔵と言うこのペンネームも母の父、私の祖父の名前です。

母のことは、これまでいろんなところで書きました。

私はいつか、自分の『罪と罰」を書こう思いますが、『カラマーゾフの兄弟』はどうしても書けそうにありません。今日は父の話をします。

芥川賞のことを最初に口にしたのは父です。小説家を夢見ていた十代の私は、父から「芥川賞とっても食っていけないんだぞ!」と諭されました。

呆気にとられました。私は小説家を志していても、まさか芥川賞などとは夢にも思わなかったのです。夢みがちな私と違い、父は徹底したリアリストです。その父が、何を思って芥川賞などと口にしたのか。それはわかりません。

それから二十五年以上経って、私は芥川賞の候補になりました。

七月十五日、芥川賞の選考会の二日前。私は候補の報告も兼ねて、ひとりで暮らす父を訪ねました。久しぶりに外で食事をということになり、私は父の好きなお鮨をご馳走させて欲しいと言いました。

すると父は「スシローに行こう」と言うのです。私も寿司はスシローと決めていますが、今回ばかりは、回らない鮨でもいいのでは?と説得しました。しかし結局、スシローよりも少しいいお値段の回転寿司に行きました。

何でも好きなものをと私は言ったのですが、父はセットメニューから「これで」と一番安いセットを指すのです。

選考会の日、結果は18時か19時、当日すぐに電話をするから待っていて欲しいと頼みましたが、夕方は散歩や夕食の支度で忙しいのでメールにしてくれと父に断られました。

そして当日、私は芥川賞に選出され、すぐに父に電話をしました。が、やはり電話には出ず、私はメールで父に受賞を伝えました。返信は「良かったな」それだけです。

その後、会見をして、翌日から取材対応や挨拶まわり。移動中の車内や空港のロビーで依頼されたエッセイを書き、やっと関西に戻ったのは週が明けてからでした。

まず私は母の墓前に報告に行きました。それから、もう既に夕方でしたが、私は父にメールで「今から報告に行くから」と送りました。

父から返信がありました。

「まずは体を休めなさい」

偉大な父は、やはり今日もここには来ておりません。たぶんリビングで将棋でもさしているのだと思います。もちろん父もこの賞の大きさはわかっています。そして誰よりも受賞を喜んでくれています。

しかしおそらく父は私に、賞よりももっと大きな何かを伝えたいのだと思います。

私のペンネームの「K」は家族で一番多かったファーストネームのイニシャルです。父のファーストネームのイニシャルも、もちろんKです。今後、私は、このKの正式名を訊かれることがあれば、父の名前を名乗るつもりです。

松永K三蔵

043 ウェイシュエンさんとの約束。『カメオ』12/12単行本発売。(お知らせ×日乗)

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私のデビュー作、「カメオ」の単行本が12/12、ついに刊行される。

大感謝。感無量。やはり小説を書いている者にとってデビュー作というのは特別で、それは死ぬまでついてまわる作品なのだ。ま、その作品が「カメオ」という変なタイトルなのだから、私らしいと言えば私らしい。

白い本が好きなので、私のリクエストで、白い本にしていただいた。

でも一番のリクエスト、いや、絶対に譲れないのは表紙の装画。そう、このウェイシュエンさんの、この犬の絵だ。表紙は絶対にこれにして欲しかったので、これでお願いした。

これは足掛け4年越しのウェイシュエンさんと私の約束だからだ。

文芸誌の「群像」に私のデビュー作として「カメオ」が掲載された時、扉絵として送られてきたのが、このウェイシュエンさんの犬の絵。

私は笑った。最高だと思ったから。私もはっきりと具現化できていないカメオがそこにいた。

カメオの可愛らしさも、奇妙さも、面白さも現れていると思った。

掲載されて、すぐに扉絵を選んでくれた装丁家の川名潤さんにお礼のメールを送った。この絵でとても面白そうに見えるからだ。実際、この扉絵で読もうと決めた人もいたようだ。なんだか小説とこの絵が合わさって、ようやく作品が成立するように感じるほどぴったりだと思った。

そうして私は、この絵を描いたウェイシュエンさんにメールを送った。ウェイシュエンさんも扉絵を喜んでくれていること、お互い犬を飼っていることなどを話した。そして私は、もし単行本化されたら、是非ウェイシュエンさんのこの絵を表紙に使わせてほしいと伝えた。

しかし「カメオ」は単行本にはならなかった。

群像新人文学賞優秀作。「本にするには分量が少ないので……」ということだったが、優秀作(佳作)だったということもあるだろう。その年の大賞は二作。本を出し、PRにはそれで十分だったのかも知れない。

すると、この本を出すのには、とにかく次を書いて、セット。いや、併録だと「カメオ」を表紙にできるのだろうか……。しかし、とにかく次を書かないと「カメオ」の書籍化もない。今はもう「カメオ」の書籍化のチャンスは逃した。だから次を書いて、いつかデビュー作にも興味を持ってもらえるようになるしかない。「カメオ」を単体にするならば、それしかない。

ウェイシュエンさんの表紙で「カメオ」を本にする。これはひとつの私の目標になった。発表時では書籍化できなかったが、もしかするともっと良いタイミングがあるのかも知れない。私は楽天家である。

しかしそこからが長かった。1年、2年、月日は経って私は藻搔いていた。アテはなかった。ただ山を舞台にした、ボツになった小説を性懲りも無く、編集者に相談もなく勝手に改稿し、改稿し、進めていた。

そんな折り、ウェイシュエンさんの個展が私の住む街、西宮市にやってくるという。行かねばならない。そう思った。……しかし正直アテはない。あの犬の絵で「カメオ」を本にする。その約束は難しいのかも知れない……。

でもとにかく私は家族を連れてウェイシュエンさんの個展に行った。

甲子園駅の近くのギャラリー。とてもかわいい個展を堪能させてもらい、そしてウェイシュエンさんと初対面。ご挨拶して、写真を撮らせていただいた。

ウェイシュエンさんが手にしているのが、「犬の絵」の原画。

2023年

ウェイシュエンさんは台湾ご出身で、日本に来てイラストレーターとして活躍されている方だ。

そして私は性懲りも無く、また言った。「いつかこの絵で「カメオ」を本にしますよ」と。

しかし、実はアテなど何もなかった。小説を書いてはいたが、私は二年近く何も発表していない。発表の見込みもなく、ただ山の小説を書いているだけだ。

「--今ね、山のお話しを書いてますから」痩せ我慢にそんなことを言った。「ウェイシュエンさんの絵で、カメオ書籍化する為の第一歩ですから」

道筋の見えないハッタリだったが、しかしそれでも私のひとつの目標だった。

そして私の書いていた「山のお話」は『バリ山行』になった。芥川賞の候補になって慌てて書籍化に動いたので、「カメオ」は併録されず、『バリ山行』単体でいうことになった。私は内心、ホッとしていた。

芥川賞の選考会で『バリ山行』が賞に選ばれて、私は講談社から、会見をする為に帝国ホテルに向った。

「行っといた方がいいですよ」

会場の裏手で出番を待っている間、そう言った群像の編集長と一緒にトイレに行った。一緒に歩きながら編集長が言った。「『カメオ』出せますよ」

−−やった。やった、ウェイシュエンさん。やったで。もちろん表紙はあの犬の絵だ。

私は芥川賞の会見の前、帝国ホテルのトイレで用を足しながら私はそう思った。

そうしてそれから約半年後、ついに本になった。最高のタイミングじゃないだろうか? 芥川賞受賞第一作だ。ウェイシュエンさんの「犬の絵」で『カメオ』は本になった。やっとこれで私の『カメオ』が完成したのだ。

帯は新人賞の大恩人、町田康先生に書いていただいた。

皆さん、よろしくお願いします。

2024年12月12日頃より全国の書店さんに並びます。

松永K三蔵

042 帰郷。“三蔵”、茨城県より特別功労賞を表彰されて、「いばらき大使」になる。(お知らせ×日乗)

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茨城に帰った。私の〝郷里〟である。

ペンネーム「三蔵」は私の母の父、つまり私の祖父の名前で、私は今、その名前を受け継いで、(二代目)三蔵として生きている。母の、そして祖父三蔵の郷里は茨城であるから、するとやはり私の郷里は茨城なのだ。

私の創作人生の中で節目となる芥川賞受賞を機に帰郷するのは必然だが、忙しさにかまけてモタモタしていると、茨城県が、特別功労賞の表彰をしてくれるという。そしてなんと、私に「いばらき大使」を委嘱したいと言ってくれた。なんというありがたいお話だろう。

茨城県。県知事。時代が時代なら、水戸藩だ、藩主から播磨国の浪人風情の私に免状をくれるというのだから俄然、胸が高鳴る。馬ではないが、新幹線に乗って常陸の国に向かう。祖父や、母への恩返しにもなるというものだ。

日立の祖父の家を守ってくれている叔父と叔母がわざわざ水戸駅まで迎えに来てくれて県庁まで連れて行ってくれた。

まずは「いばらき大使」の任命式。知事室に案内される。大井川知事はまさにリーダーという感じで、爽やかでありながら風格があった。

知事と少し歓談させていただき、パリ五輪、フェンシング団体金メダリストの永野選手とともにいばらき大使を任命される。(控室では私はミーハー根性丸出しで、永野選手にねだって金メダルを触らせてもらった。優しい永野選手は私の首に金メダルをかけてくれた。これがすごく重い! 大変貴重な経験をさせていただいた)

写真は茨城県のXより

そして県の表彰式。県に功績のあった多くの方と一緒に表彰を受ける。記念写真。茨城県に「三蔵」の名前が刻まれたのだ。

その後、祝賀会をしていただいた。

 その足で、関西から遠くはなれた水戸の地でありながら私の『バリ山行』を、いつも売り上げ上位に押し上げてくれていた「丸善 水戸京成店」さんにお伺いした。

入り口のいい場所に『バリ山行』を置いていただいている。店長さんもとてもこころよくお迎えいただき、また百貨店の店長さま、宣伝の統括の方も呼んでくれた。感謝。

そしてお土産に上等な「干し芋」までいただいた。幼いころ、私もよくこれを齧った。ストーブの上で炙って、柔らかくして食べるのだ。

(あまりなじみのない妻が口にして、その美味に驚いていた。しかもヘルシー)

翌日、私は祖父のお墓を訪ねた。ついに訪ねた。

私は生来楽天家で、しかも忘れっぽく、恨みも含めて忘れてしまう。その時々を楽しんで暢気に生きているので、苦しいことがあったとしてもすぐに忘れてしまう。

なので苦節云々ということは正直言えないのだが、祖父のお墓の前に立って、フッと息を吐くように肩の力が抜けて思った。さすがに長かった。

二十五年以上。中学の時、母に文学というものを与えられ、〝何か〟を書き始め、母が亡くなった時、その墓前に小説家になることを誓った。それから二十五年以上。やはり長かった。祖父の墓の前に立ちそのことが思い返された。思えば小説を志したが故に追い詰められ、苦しんだこともあったけれど、小説があったからそこ、向かう場所はひとつ、強く明るく生きていけた。母が愛した祖父の名を受け継いで、今、それを名乗り、私は、私の本名でなく「三蔵」として認知されている。祖父は喜んでくれているだろうか。

お墓の前に芥川賞正賞の懐中時計を置く。日立の街の高台に祖父の墓所はある。この街を書こうと思った。いつか書かねばならないと思った。

それから日立の叔父の家の近く、館内の飾りつけ用にと、色紙を持って、南部図書館にもお邪魔した。

『バリ山行』は貸し出し中だと言うが、入り口近くに宣伝のPOPを大きく飾っていただいている。名乗ると、司書の方たちが大歓迎してくれた。幸い平日でそれほど混んでいなかったので良かった。

 南部図書館にはマスコットがいる。芝生のような鮮やかなグリーンのクジラだ。「くじらちゃん」と言うらしい。潔いほどそのままだ。

私も多くの本を図書館で借りて読んできた。母から渡されたドストの『罪と罰』もやはり図書館で借りたものだ。図書館には感謝しかない。

本は売れてほしいが、それよりも私はひとりでも多くの人に私の作品に触れてもらいたい。(読んで買ってくれるかもしれないし……)

この表彰状は叔父にお願いして叔父の家に置いておいてもらうことにした。祖父の写真とともに。

私の茨城への里帰り。ここで私の文学の旅の区切りは、ひとつついた。またここからは新しい旅だ。

ところで、この県庁訪問が決まってからずっと気になっていたことがあった。茨城県の県章のこれ。

このぐるぐるの県章。アイツに似てる。ポケモンの、名前はわからんが、いた。調べた。

そうコイツ。ニョロゾとか言うらしい。おたまポケモンらしい。

 茨城県の県章を見るたび思い出すのだ。私だけだろうか。

松永K三蔵

041 神戸文学館 文学講義 「神戸、街と文学。なぜ人は物語るのか?」講演します。(お知らせ×日乗)

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これまでトークイベントはさせていただいたが、「文学講座」、つまり講演のようなものははじめてだ。……どうなることやら。しかも歴史ある「神戸文学館」だ。

場所はお馴染み「王子動物園」の隣だ。関西人なら一度は行ったことがあるだろう。もしかしたら王子動物園から「なんや、あれ?」と思ったかも知れないレンガ造りの古い建物。――それが神戸文学館だ。

文学講座をさせてくれるのは、私が芥川賞をもらったからだが、別に芥川賞をとったからと言って、小説を創るのが多少うまいというだけで、何も文学の知識、教養が担保されるわけでない。前も何かで書いたが、小説家が知的エリートであり得たのは昭和初期の時代までだろうと私は思っている。

だから芥川賞もらっても、それでいきなり文学の講座ができるというわけではない。目眩しに立派な髭でもつければ多少違うだろうか……。

一応私も、文学部の日本文学科を出ているので研究はしたが、自分の興味ある小説家の講義以外はあまり聞いていなかった。院に進んで専門的に研究したわけでなく、また大学で講義しているわけでも、もちろんない。

つまり講師としては素人なわけだけれど……、まぁ実作者として、また文学好きとして、多少はお話できることはあるかも知れない。

幸い、――なのかはわからないが、私は結構お喋りだ。小説家というと寡黙で、慎重に言葉を択びながら訥々と喋るというイメージがあるのかも知れないが、長く営業マンだった性か、私は編集部を訪ねても、書店を訪ねても、とにかくよく喋る。中には面食らう人もいて「……なんか、すごい営業力ですね」とタジタジになっていた書店員さんもおられた。

とにかく喋るのは好きなので、昔は嫌がる友人を捉まえて無理矢理、私の文学談義を聞かせていたが、今はこうして場所をとって私の文学談義を聞いてくれるというのだからありがたい。断っておくが、偏りのある、デタラメな文学講座かも知れないが、大いに語ろうと思う。

タイトルにもある「なぜ人は物語るのか?」つまり、なぜ創作するのか、あるいは伝えるのか。それを求めるのか。そんな本質的な話だ。それは小説って、文学ってなに?ってところまで当然掘り下げる。もちろんそれに正解はない。でも私なりの考えはある。そしてそれはひとりひとり考える問題なのだと思う。

この文学講義が皆さんのそんなきっかけになればと思う。

ということで皆さん奮って参加お申し込みください。ってこの記事を書いている途中に「満席」になった。

どうもありがとうございます。

「いやー聞きたかったなぁ、お前のデタラメ文学談義」なんて方は、また私のこのサイトとか、XとかInstagramを見ていて欲しい。まだ告知はできないけれど、またお話しする機会はあるのだ。

   ↓(2024.11.28更新)

関西学院大学 岸田奈美さんとのトークイベントやります! 12/18水曜日 13:20〜 平日だが入場無料! よろしくお願いします!

松永K三蔵

 

040茂木健一郎先生のラジオ番組 TOKYOFM「ドリームハート」出演させていただきました。(お知らせ×日乗)

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radikoなどでも聴けます。アーカイブでお聴きください。2回あります。

こちらからも聴けます↓

https://www.tfm.co.jp/dreamheart/smartphone/index.php

茂木健一郎先生

 芥川賞をいただくと、本当にありがたいこともあるもので、なんと、あの茂木健一郎先生のラジオに呼んでいただいた。東京FM「ドリームハート」

写真 TOKYOFM より

 

はじめてお会いする茂木さんだが、イメージ通りのとてもユーモラスで温かい方だった。

 実は先生には、先生の「シラスフロントロー」第50回で『バリ山行』を取り上げていただき、私もその放送を聴いた。参加者の方がとてものびのびされている空間は、非常に感銘を受けた。

広い視野で見守るような先生の視線が、議論を活発化させているのだろうと思った。

そんなこともあって、今回先生にラジオに呼んでいただいた。

先生の冗談が連発する収録スタジオの雰囲気が良く、とても楽しかった。先 

 またオンエアレポートもあるので、読んでみてくさい!

★1回目

https://www.tfm.co.jp/dreamheart/smartphone/index.php?catid=1745&itemid=203272

★2回目

https://www.tfm.co.jp/dreamheart/smartphone/index.php?catid=1745&itemid=203364

 

松永K三蔵

039ブックファースト様 松永K三蔵選書フェア 4店舗同時開催!(阪急西宮ガーデンズ店・西宮店・六甲店・梅田2階店)お知らせ×日乗

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ありがとうございます! これは嬉しい。いつも(毎週の様に)立ち寄っている「阪急西宮ガーデンズ店」。阪急西宮北口駅の駅構内にある「西宮店」には乗り換えの際はやはり立ち寄る。「六甲店」、こちらもやっぱり、昔の通勤路だったのでよく立ち寄っていた。「梅田2階店」も阪急梅田からJRに乗り換えの際は立ち寄る。

そんな思い出の場所の書店でフェアをしていただけるのは、ほんと感謝……。

阪急西宮ガーデンズ店
西宮店にて

 

ということで、今回は私の読書遍歴と、大学生、主に母校である関西学院大学生に読んでほしい本ということで選書させていただいた。

 

実際に店舗に行ってほしいので、ここではいくつかピックアップしてご紹介。

■読書遍歴■ 古い本ばかりですみません……

■幼少期(本をほぼ読まず、なので漫画)

・『総員玉砕せよ』(水木しげる)   

幼少期に読んでいたのは違うが、漫画と言えば水木しげる。画力と抜け感。戦記ものは重い。

・『あしたのジョー』(ちばてつや・高森朝雄)

実存の問題を扱っている漫画ですよ。これは。

 

■中高生(主に海外の古典の時代)

・『春の嵐』(ヘルマン・ヘッセ)

欧州の外国文学の美しい雰囲気がいいですよね。どっぷりハマれる。

・『狭き門』(アンドレ・ジッド)

ジッドには傾倒しました。

 

■大学生(日本文学へ)

『リツ子その愛・その死』(檀一雄)

檀一雄はいいぞ、めちゃくちゃいいぞ。『火宅の人』もいいが、私にはこっちがベスト。

『六白金星・可能性の文学』(織田作之助)

織田作は『夫婦善蔵』だけやない!

 

■社会人

『神を待ち望む』(シモーヌ・ヴェイユ)

今の私の羅針盤的な書物

『掃除婦のための手引書』(ルシア・べルリン)

発掘された「アメリカ文学最後の秘密」これはいいです。ほんと。

六甲店にて
フェア用の色紙
梅田2階店

それから地元、関学生(母校の関西学院大学)に読んでほしい本も10冊セレクトさせてもらった。

青春期に読んで欲しい本だ。

①深夜特急シリーズ (沢木耕太郎)

②二十歳の原点 (高野悦子)

③堕落論・日本文化私観 (坂口安吾)

④ちくま日本文学027菊池寛 (菊池寛)

⑤漂流物・武蔵丸 (車谷長吉)

⑥出家とその弟子 (倉田百三)

⑦仮面の告白  (三島由紀夫)

⑧レンタルチャイルド (石井光太)

⑨孫子 

⑩ツァラトゥストラ (ニーチェ)

というラインナップ!

よろしくお願いします。

松永K三蔵

 

038 『バリ山行』創作秘話、ウラ話。群像WEBの記事をご紹介。ほとんど私の筆歴のまとめ

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創作秘話というのは面白い。そして第171回芥川賞受賞作の『バリ山行』にも創作秘話がある。まぁ、オープンにするのだから秘話ではないが、ウラ話。これもなかなか面白いと思う。

足掛け三年。途中ボツになりかけて、それこそ「山あり谷あり」で、特に校了前は怒涛の一週間で、まさにクライマックスに相応しい状況だった。それがなんとか掲載となり、約三年かけて、やっと受賞後第一作を発表できたことは、それだけでも感慨深い。

さて、群像WEB記事紹介。

こちらは「タイトル、なんて読むねん問題」。小説のタイトルが読めない、なんてことは問題だが、担当編集の方が「タイトルに引きがあっていい」と言ってくれていたので、私は別に何とも思っていなかった。「山行」というのは、登山アプリでも頻出するし、当たり前の言葉だと思っていた……。バリという言い方は一般的ではないだろうことは分かっていたが、掴みがるのでそういう使い方をした。「バリ山行」それはあくまで妻鹿が登山アプリに残していた、「造語」ということになる。

群像WEB記事①

「芥川賞受賞『バリ山行』、「タイトルどう読めばいいのかわからない」問題を、担当編集に直撃した」👇

https://gendai.media/articles/-/137705?imp=0

そんな私は2021年群像文学新人賞の優秀作(佳作)でデビューした。第64回、石沢麻依さんと島口大樹さんと同期だ。通常新人賞というのは一人、あるいは二人だ。三人というのは異例だろう。二人も受賞者がいれば十分だ。だから私は「次、頑張ってね」なんてことになってもおかしくなかったのだ。

石沢麻依さんは、ご存知の通りそのままデビュー作で芥川賞というスゴい方。島口大樹さんも芥川賞候補に野間新候補というスゴい経歴の持ち主。とにかくお二人とも、読めばスゴさがわかる。つまりは第64回は「死の組」だったわけだが、よく私、デビューできたよな……。

そんな過酷な選考の中で私を拾ってくださったのが町田康先生。評価の難しい、ようわからん私を残す為に随分頑張ってくださったらしい。町田先生、本当にありがとうございました。

群像WEB記事

「編集者は「芥川賞作家」をどうやって発掘するのか? その「意外なプロセス」がめちゃおもしろかった…!」👇

https://gendai.media/articles/-/137708?imp=0

記事の中で担当編集の須田さんが言っている。

“「カメオ」は応募作ということを忘れるほど面白く読んだ作品でした。私は読んだ作品それぞれの感想と、5つ星の評価を記録しているのですが、当時のメモを見返しますと、「カメオ」にはめったにつけない満点の5つ星をつけていました。”

断っておくが、須田さんは甘くない。そんな須田さん五つ星作品『カメオ』、この度めでたく刊行です。ありがとうございます。2024年12月刊行です。★★★★★

「カメオ」に続く、『バリ山行』はボツの危機に、というのが次の記事。

群像WEB記事③

「えっ、そこまでやるの…?」芥川賞作品が「ブラッシュアップ」されるプロセスが凄まじかった…!👇

https://gendai.media/articles/-/137730?page=1&imp=0

やるんですよ。トコトンやるんですよ。正直途中ボツになった原稿でもそこそこ面白いとは、個人的には思う。ところがその私の限界を突破させてくれるのが編集者。そして今回は、産休から復帰した須田さんと中野さんの二人体制。私を入れて三人。まさにチーム。

校了までの残り数日。ギリギリまでみんなで意見を出し、お二人からはとても貴重なヒントをもらい、「いける」そう思った。中野さんは作品の肝となる主人公を私からうまく切り離すヒントをくれた。須田さんは目指すべき方角を明確に示す、まさに方位磁針のように原稿に的確にチェックをいれてくれた。「見えた!」作品がはっきりと見えた瞬間だった。あとは間に合うか。仮眠を挟みながら徹夜で原稿を進める。この時、私はなぜか異常な食欲になった。普段飲まないレッドブルをガブ飲みし、ラーメンからパン、お菓子までバクバク、いくら食べても腹が減って腹が減って仕方なかった。今、ここが自分の勝負時と肚を決め、とにかく書きまくった。(それにしてもあの異常な食欲はなんだったのか)

そうして書いた最終稿を読み、担当編集者の須田さんの「いける!」が出ることになる。

「いける!」の連鎖反応!

この編集者のプロフェッショナルな「いける!」の嗅覚は、経験とセンスなのだろう。この記事はそんな編集者の仕事の貴重な記録でもある。

ちなみに書く側の私のセンスはどうなっているのか? 私は常に「いける!」と考えているので、残念ながら、その嗅覚はマヒしてしまっているようだ。泣。

松永K三蔵

037 デカダン文士シリーズ 其の弐 織田作之助 織田作詣り

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いろいろお知らせが多いけれど、ネタはなるべく新鮮なうちに。

ということでデカダン文士シリーズ。(その壱は檀一雄)で、オダサクはまだ出すつもりはなかったのだけれども、先月、大阪福島にあるABC放送の「おはようパーソナリティ」というラジオに呼んでいただき、大阪に行った。

せっかく大阪に来たのだから、やるか、あれ。芥川賞の報告も兼ねて、織田作詣り。

大阪に来ると、たまに私はやるのだ。

もちろんその時のお腹と相談だが、名物カレーの「自由軒」に行く。そこに飾られている織田作先生の写真に向かって、心ひそかに話しかける。

「先生、また来ましたよ」

「先生、デビューしました」

「先生、先生の作品の書評を書きましてね」

「先生、いま、山の話を書いてるんですよ」

もしかしたら先生は言うだろうか。

“せやけど、松永オマエ、俺より安吾さんの方が好きや言うてたやろ?”

「いや、やっぱり“小説”はオダサクですよ」

“ほんまかいな。よう言うわ”

そして私は大事なことを織田作先生に報告しなければならない。

ABC放送横の堂島川

織田作之助も候補になっていた芥川賞。しかし織田作之助は、芥川賞などは関係なく、オダサクだ。

でもやっぱり報告だ。「先生、今回の芥川、直木、関西勢で占めたんですよ」

9月はまだまだ暑いが、福島から難波まで歩く。約4キロ。平坦。歩いていれば着く。

そうして歩いて、道頓堀を渡って、まず行ったのは、やっぱりここ、「自由軒」

昼前に行ったが既に満席

「先生、やっぱエエ男ですね」

“やかましわい”

織田作が残したのはカレーライスやなくて、小説ちゃうんかいな。なんて思うが、まぁそこは大阪だ。「東京にない味」と言うのがいい。たぶんひとり相撲なのだが、大阪はいつも東京をライバル視している。それは関ヶ原以来ずっとだ。

大阪名物 織田作好み

正午には少し早いが、店内は満席。どんどんと来客がある。ドヤドヤという喧騒の中、長机で食堂のようにいただく。

強慾の私は大盛り。

やっぱりうまいで。ちょい辛。織田作もこれを食うたと思うたら、やはり胸熱。

おおきに、ほな代金、ココ置いとくでー。釣りは要らんよってにーと、カッキリ丁度に払うのが大阪流。ではないが、とにかくちゃんとレジで会計を済ませ、次に向かうは法善寺横丁。

法善寺横丁
行き暮れて ここが思案の 善哉かな

織田作之助の文学碑。

水掛け地蔵の横にあるのは、

ご存知、夫婦善哉。

邪魔するでぇ--。とは入りはしなかったが、この後のやり取りを、関西人なら知らない人はいない。

自撮りに四苦八苦していると、撮りましょかぁ? とお声がけいただき、撮ってもらった。「ハイ、ぜぇーんざい!」の掛け声でお互い笑う。

壁には織田作之助の写真、初版の『夫婦善哉』などが並ぶファン垂涎の店内。お椀がふたつ並ぶ夫婦善哉。美味い。お口直しの昆布もいい。

腹が膨れたところで、しばらく東に歩いて難波大社 生國魂神社まで。暑い。

境内にある織田作之助の立像。

これが小さい。子どもくらいの像だ。なんだかあの捕獲されて手を繋いだ宇宙人くらいのサイズだ。いつかデッカい織田作之助にリメイクしないかなぁ、などと妄想。閑散とした境内。暑い最中、参拝客は私ばかり。

それから更に歩いて歩いて、城南寺町。

この辺りまでくると殷賑を極めたミナミの喧騒もまるで嘘のように消失し、どこか乾いた寺町独特の枯淡の風情がある。

この日も酷暑。どこか白く乾涸びたようやく町の景色の中には誰もいない。

賑やかな大阪の風情を描いた織田作だけれど、織田作之助が眠るのは、意外にもそんな町の中だ。

なんだかそんなこもに少しホッとする。

「勝負師」の坂田三吉の、あるいは「六白金星」の楢雄の、哀しみを知る織田作だ。やはり最後は静かな場所で眠ってほしい。

楞嚴寺(りょうがんじ)

織田作之助の墓はここにある。

山門を潜って百日紅。紅が青天に映える。

織田作之助の墓

デカい。織田作之助の墓は尖っていてデカいのだ。歪で魁夷、カタに嵌らなかった西の無頼派、オダサクに相応しい墓碑。

「先生、スンマセン。先生も候補になった芥川賞、貰いました」

“おぉ? それ、俺も候補になったいうクダリいるか? おい松永、オマエなめとんのかい!”

「今日はその報告に来ました」

織田作先生に褒められたかどうかはわからないが、とにかくの晴天、暑いが、晴れやかで気持ちいい。静かなこの町の、墓所の裏には学校があって、ちょうど改修工事で足場がかかり、工事の音と学生の声で賑やかだ。

やっぱり織田作は賑やかな方がいい。

「ほな、先生、また来ます。はい、撮りまっせ。動かんとってくださいよ」

“アホか!動かれへんやろ!”

百日紅の花と織田作之助の墓。

オダサクには百日紅の花がよく似合う。

松永K三蔵

036『山と渓谷10月号』“今月の人”に取り上げていただきました。+“今月の本棚”に小阪健一郎さんによる『バリ山行』の書評もあり!(日乗×お知らせ)

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ええんか? ほんまにええんか?

という戸惑いは正直あった。『山と渓谷』と言えば登山界の専門誌だ。出てくる人は世界的な登山家だ。山野井妙子さんや、角幡唯介さん‥‥‥。とにかく凄い。

そんな素晴らしい山岳専門誌に私のような、ひとり、ちょろちょろと低山を我流で歩いていただけの輩が出ていいものだろうか。

小説は書いた。山の小説。芥川賞もいただいた。が、それは文学界の話。山岳界とはまた別だ。

本格的に山をされている方に、私の山の小説はどう読まれるのだろう。山の描写や山行の様子‥‥‥。不安はあった。「まぁまぁよく書けてるよ、素人にしては」そうお目溢ししてくれれば御の字だと思っていた。

ところが不思議なこともあるもので、山の“ガチ勢”でもあるヤマケイの編集部の方からご感想をいただいた。薮山の描写、登山者の心理も含め、大変に熱いご感想だった。それが今回の記事、インタビューに繋がっているわけだが、私は嬉しさよりも安堵。そしてやはり不思議に思った。

私がひとり彷徨い歩いていた山も、いつか上級者がのぼる高山にまで繋がっていたのだろうか。いや、でも低山や高山、そんなものも我々人間の勝手な分類で、本来、道と同じく、「そんなものはない」のだ。名前すらもない。そこにただ、山があるだけ、なのだ。

めちゃくちゃ山やってる風に写ってる「初心者」

ヤマケイの編集部の方々と六甲山を歩きながら、いろいろとお話しさせていただいた。とても楽しい山行だった。山の話はもちろん、文学の話も聞いていただいた。好き放題喋り散らかしたが、ライターさん、編集者さんが素晴らしい記事に仕上げてくれた。本当に感謝。是非読んで欲しい。

そして写真には、作中で登場する、まさに「アレ」が写っている。うん、アレだ。マステも出てくるけど、アレだ!それは買って見てね。

更に更に、「今月の本棚」では辺境クライマーのリアル妻鹿さんみたいなけんじりさんこと小阪健一郎さんが「バリ山行」の書評を寄せてくださっている。激アツの記事だ。

私は爆笑してしまった!

ヤマケイさん、本当にありがとうございます。

ちなみに私の記事はさておき、今月号は特に「買い」だ。登山アプリや、今更聞けない読図のまとめ、そして登山者永遠のテーマ、レイヤー特集など、めちゃくちゃ良い内容!是非、本屋さんで。

最後に

今回、K2で事故に遭われた平出和也さん、中島健郎さんのお二人に、心よりお悔やみ申し上げます。そしてお二人の素晴らしい実績とそのお仕事に敬意とともに感謝をお伝えしたいと思います。

松永K三蔵