037 デカダン文士シリーズ 其の弐 織田作之助 織田作詣り

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いろいろお知らせが多いけれど、ネタはなるべく新鮮なうちに。

ということでデカダン文士シリーズ。(その壱は檀一雄)で、オダサクはまだ出すつもりはなかったのだけれども、先月、大阪福島にあるABC放送の「おはようパーソナリティ」というラジオに呼んでいただき、大阪に行った。

せっかく大阪に来たのだから、やるか、あれ。芥川賞の報告も兼ねて、織田作詣り。

大阪に来ると、たまに私はやるのだ。

もちろんその時のお腹と相談だが、名物カレーの「自由軒」に行く。そこに飾られている織田作先生の写真に向かって、心ひそかに話しかける。

「先生、また来ましたよ」

「先生、デビューしました」

「先生、先生の作品の書評を書きましてね」

「先生、いま、山の話を書いてるんですよ」

もしかしたら先生は言うだろうか。

“せやけど、松永オマエ、俺より安吾さんの方が好きや言うてたやろ?”

「いや、やっぱり“小説”はオダサクですよ」

“ほんまかいな。よう言うわ”

そして私は大事なことを織田作先生に報告しなければならない。

ABC放送横の堂島川

織田作之助も候補になっていた芥川賞。しかし織田作之助は、芥川賞などは関係なく、オダサクだ。

でもやっぱり報告だ。「先生、今回の芥川、直木、関西勢で占めたんですよ」

9月はまだまだ暑いが、福島から難波まで歩く。約4キロ。平坦。歩いていれば着く。

そうして歩いて、道頓堀を渡って、まず行ったのは、やっぱりここ、「自由軒」

昼前に行ったが既に満席

「先生、やっぱエエ男ですね」

“やかましわい”

織田作が残したのはカレーライスやなくて、小説ちゃうんかいな。なんて思うが、まぁそこは大阪だ。「東京にない味」と言うのがいい。たぶんひとり相撲なのだが、大阪はいつも東京をライバル視している。それは関ヶ原以来ずっとだ。

大阪名物 織田作好み

正午には少し早いが、店内は満席。どんどんと来客がある。ドヤドヤという喧騒の中、長机で食堂のようにいただく。

強慾の私は大盛り。

やっぱりうまいで。ちょい辛。織田作もこれを食うたと思うたら、やはり胸熱。

おおきに、ほな代金、ココ置いとくでー。釣りは要らんよってにーと、カッキリ丁度に払うのが大阪流。ではないが、とにかくちゃんとレジで会計を済ませ、次に向かうは法善寺横丁。

法善寺横丁
行き暮れて ここが思案の 善哉かな

織田作之助の文学碑。

水掛け地蔵の横にあるのは、

ご存知、夫婦善哉。

邪魔するでぇ--。とは入りはしなかったが、この後のやり取りを、関西人なら知らない人はいない。

自撮りに四苦八苦していると、撮りましょかぁ? とお声がけいただき、撮ってもらった。「ハイ、ぜぇーんざい!」の掛け声でお互い笑う。

壁には織田作之助の写真、初版の『夫婦善哉』などが並ぶファン垂涎の店内。お椀がふたつ並ぶ夫婦善哉。美味い。お口直しの昆布もいい。

腹が膨れたところで、しばらく東に歩いて難波大社 生國魂神社まで。暑い。

境内にある織田作之助の立像。

これが小さい。子どもくらいの像だ。なんだかあの捕獲されて手を繋いだ宇宙人くらいのサイズだ。いつかデッカい織田作之助にリメイクしないかなぁ、などと妄想。閑散とした境内。暑い最中、参拝客は私ばかり。

それから更に歩いて歩いて、城南寺町。

この辺りまでくると殷賑を極めたミナミの喧騒もまるで嘘のように消失し、どこか乾いた寺町独特の枯淡の風情がある。

この日も酷暑。どこか白く乾涸びたようやく町の景色の中には誰もいない。

賑やかな大阪の風情を描いた織田作だけれど、織田作之助が眠るのは、意外にもそんな町の中だ。

なんだかそんなこもに少しホッとする。

「勝負師」の坂田三吉の、あるいは「六白金星」の楢雄の、哀しみを知る織田作だ。やはり最後は静かな場所で眠ってほしい。

楞嚴寺(りょうがんじ)

織田作之助の墓はここにある。

山門を潜って百日紅。紅が青天に映える。

織田作之助の墓

デカい。織田作之助の墓は尖っていてデカいのだ。歪で魁夷、カタに嵌らなかった西の無頼派、オダサクに相応しい墓碑。

「先生、スンマセン。先生も候補になった芥川賞、貰いました」

“おぉ? それ、俺も候補になったいうクダリいるか? おい松永、オマエなめとんのかい!”

「今日はその報告に来ました」

織田作先生に褒められたかどうかはわからないが、とにかくの晴天、暑いが、晴れやかで気持ちいい。静かなこの町の、墓所の裏には学校があって、ちょうど改修工事で足場がかかり、工事の音と学生の声で賑やかだ。

やっぱり織田作は賑やかな方がいい。

「ほな、先生、また来ます。はい、撮りまっせ。動かんとってくださいよ」

“アホか!動かれへんやろ!”

百日紅の花と織田作之助の墓。

オダサクには百日紅の花がよく似合う。

松永K三蔵

「リンネル」11月号で『バリ山行』をご紹介いただきました。インタビューも。

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“ふわっとやさしい暮らし&おしゃれマガジン!”という「リンネル」さんだが、大丈夫か?私などを載せて。

ヤマケイさんもアレだけど、「リンネル」さんも結構責めてる。いや、ほんとありがたい。

取材していただいた方がとても熱心に読んでいただき、そのまま熱い記事にしていただいている。

ありがたいです。ほんと。

こういうファッション誌を普段あまり買うことはないが、読んでみるとこれがなかなかたのしい。

記事はスマホで読むなんて人も、たまに雑誌買うのもいいですよ。やはり紙で読むのはストレスが少ないのか、楽ですね。落ち着いて読めます。

まぁ私などはおしゃれとは程遠い生活をしていて、↑このセットアップというのか、ジャケとパンツも、あの、あれだUNIQLOの感動シリーズだ。ちなみに受賞会見もそれだ。

そんな私が書いたのだけれど、おしゃれな女子にも届け『バリ山行』。

ということでよろしくお願いします。

松永K三蔵

「本の雑誌」10月号「新刊めっくたガイド」で『バリ山行』を超おもしろい文学作品と評していただきました。

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本の雑誌チームさんから大変熱く、『バリ山行』を推していただいている。

“ただひたすらおもしろい!”

ありがたい。「超おもしろい文学作品だ」とまで言ってくれている。読みのプロが。

私は、そう、オモロイ純文運動をしているのだから、まさに面目躍如だ。

ありがとうございます!

松永K三蔵

036『山と渓谷10月号』“今月の人”に取り上げていただきました。+“今月の本棚”に小阪健一郎さんによる『バリ山行』の書評もあり!(日乗×お知らせ)

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ええんか? ほんまにええんか?

という戸惑いは正直あった。『山と渓谷』と言えば登山界の専門誌だ。出てくる人は世界的な登山家だ。山野井妙子さんや、角幡唯介さん‥‥‥。とにかく凄い。

そんな素晴らしい山岳専門誌に私のような、ひとり、ちょろちょろと低山を我流で歩いていただけの輩が出ていいものだろうか。

小説は書いた。山の小説。芥川賞もいただいた。が、それは文学界の話。山岳界とはまた別だ。

本格的に山をされている方に、私の山の小説はどう読まれるのだろう。山の描写や山行の様子‥‥‥。不安はあった。「まぁまぁよく書けてるよ、素人にしては」そうお目溢ししてくれれば御の字だと思っていた。

ところが不思議なこともあるもので、山の“ガチ勢”でもあるヤマケイの編集部の方からご感想をいただいた。薮山の描写、登山者の心理も含め、大変に熱いご感想だった。それが今回の記事、インタビューに繋がっているわけだが、私は嬉しさよりも安堵。そしてやはり不思議に思った。

私がひとり彷徨い歩いていた山も、いつか上級者がのぼる高山にまで繋がっていたのだろうか。いや、でも低山や高山、そんなものも我々人間の勝手な分類で、本来、道と同じく、「そんなものはない」のだ。名前すらもない。そこにただ、山があるだけ、なのだ。

めちゃくちゃ山やってる風に写ってる「初心者」

ヤマケイの編集部の方々と六甲山を歩きながら、いろいろとお話しさせていただいた。とても楽しい山行だった。山の話はもちろん、文学の話も聞いていただいた。好き放題喋り散らかしたが、ライターさん、編集者さんが素晴らしい記事に仕上げてくれた。本当に感謝。是非読んで欲しい。

そして写真には、作中で登場する、まさに「アレ」が写っている。うん、アレだ。マステも出てくるけど、アレだ!それは買って見てね。

更に更に、「今月の本棚」では辺境クライマーのリアル妻鹿さんみたいなけんじりさんこと小阪健一郎さんが「バリ山行」の書評を寄せてくださっている。激アツの記事だ。

私は爆笑してしまった!

ヤマケイさん、本当にありがとうございます。

ちなみに私の記事はさておき、今月号は特に「買い」だ。登山アプリや、今更聞けない読図のまとめ、そして登山者永遠のテーマ、レイヤー特集など、めちゃくちゃ良い内容!是非、本屋さんで。

最後に

今回、K2で事故に遭われた平出和也さん、中島健郎さんのお二人に、心よりお悔やみ申し上げます。そしてお二人の素晴らしい実績とそのお仕事に敬意とともに感謝をお伝えしたいと思います。

松永K三蔵

📣サイン会やります。9/7(土)大阪梅田 紀伊國屋書店 梅田本店にて✍️

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大阪梅田駅がまだ「梅田」駅だけで、「大阪ってどこですか?」と旅行者を混乱に陥れていた頃からはもちろん。ずっと、私の小さな頃からずっと、大阪の本屋さんといえば紀伊國屋だった。

それから隣にある巨大モニター「ビッグマン」。ケイタイ、スマホもない時代、待ち合わせ場所と言えばここだった。「ビッグマン」を知らないという関西人がいれば、その人はモグリだ。

そんなこんなでその大阪の書店の聖地とも言える紀伊國屋書店で、サイン会をさせていただくことになった。ありがとうございます。

大変感謝。

実は私はサイン会というのは、するのもちろん初めてだが、見たことも行ったこともない。

どんな感じなんやろか。ということで勝手な空想でまた絵を描いた。

ご予約、お問い合わせはこちら👇

日時

2024年9月7日(土)14:00〜

場所

  • 梅田本店
  • 2番カウンター横特設会場
  • ご予約は店頭 2番カウンターもしくは、06-6372-5821までどうぞ。

読者の皆さん、ご興味持っていただいた皆さんにお会い出来るのを楽しみにしております。

そしてお越しいただいた方には

作中で登場する㊙︎アイテムの「一部」をプレゼント!

あくまで「一部」なので、期待を膨らませ過ぎないでくださいね😅いや、一部だからいいのかも。

それでは皆さん、よろしくお願いします!

松永K三蔵

『バリ山行』の書評を書いていただきました。朝日新聞+日経新聞 8/31

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『バリ山行』の書評を書いていただきました。ありがとうございます!

お知らせが遅れてすみません。

WEBとかでも読めるのかも知れません。

よろしくお願いします。

朝日新聞 評者は山内マリコさん

「超高解像度で男性の、会社員の世界が瑞々しく描かれた、令和6年上半期芥川賞受賞作」

日本経済新聞

「会社員として働く著者が、サラリーマン生活の苦悩に寄り添いながら、未知なる自然の脅威や美しさを活写した。」

毎日新聞8/26夕刊にインタビュー「信じられる」何かを求めて を掲載していただきました。

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とても楽しかったインタビュー。記者の方が聞き上手。調子に乗っていろいろと話してしまった。

このインタビューは文學界8月号に掲載していただいたエッセイ「押せども、ひけども、うごかぬ扉」に続くインタビュー。

(ひとり山に入り、ルートを外れ)「社会的な肩書きや付加的なものが外れ、自分とは何かを問い直していく。『何者でもない自分』と世界の関係性というテーマは今後も追い続けたい」

035 余は如何にして「松永K三蔵」になりし乎(か)ペンネームについて GOODBYE ミッフィーちゃん

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まず受賞作の『バリ山行』だが、この山行を(やまゆき)と読んだり、(さんぎょう)と読んだり、果てはその読みの変換からか?『バリ三行』となっているSNS投稿を見たりする……。正確には(さんこう)です。混乱させて申し訳ない。登山界隈では当たり前のこの単語も、どうも世間一般では通じないらしい。

ちなみに、たまにSNSで『パリ山行』となっていたりするのは、パリ五輪の影響だろうから、これは仕方ない。それと老眼……。

芥川賞を受賞したことで、ありがたいことに私のペンネームも少しは世の中に広まった。多くの人が目にすることになり、およそ芥川賞作家のペンネームとも思われぬ、このアルファベット入りの奇妙なペンネームに面食らい、「なんて読むの? コレ」と混乱させてしまっているらしい。

ニュース原稿を読み上げるアナウンサーも困惑し、こんなやりとりもあったのかも知れない。

「これさ、このKってなに? 誤植じゃないの?」

スタッフ「いえ、Kですね。ありますK」

「え、ホント? じゃあ、これケイザブ……、ケイサンゾウ?」

スタッフ「ミドルネームらしいです」

「ん? ミドルネーム?」

スタッフ「松永、ケイ、サンゾウらしいです(困惑)」

つまり佐藤B作みたいな感じで、これを続けて読むと少し違う。ケイサンゾー、ではない。

私はあくまで、三蔵。ケイは別。だから、ケイ、サンゾー。

ちなみにペンネームは家族の名前の組み合わせ。「三蔵」は私に文学を与えた母の父、つまり私の祖父の名前。Kは家族のファーストネームで最も多かったイニシャル。

母と私のエピソード↓(芥川賞、受賞のことば)

https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h8459

そうか、わかった。それはわかった。そんならばお前、ミドルネームならミドルネームらしく、「・」を入れるべきじゃないのか? 藤子・F・不二雄みたいに。

私もそう思う。いや、そう当初のペンネーム(群像新人文学賞応募時)は松永・K・三蔵だったのだ。

ちなみに、この第64回はストレート芥川賞の石沢麻依さん、野間新、芥川賞候補の島口大樹さんという、いわゆる“死の組”だ。「カメオ」は良くやった。

優秀作を頂き、デビューが決まったけれど、すると編集部から、そのペンネームはどうなのか? と「相談」があった。ちゃんとデビュー後のことも考えてくれているのだ。イロモノと思われるんじゃないのか等……。(実際イロモノなのかも知れないが……)

群像文学新人賞は歴史ある賞だ。村上龍、村上春樹をはじめ、高橋源一郎や阿部和重、村田沙耶香など、偉大な書き手を輩出してきた。その純文学の賞にそんなふざけた名前はどうなのだろうか?

しかし「K」は納めきれなかった家族たちの名前、それを外すのは忍びない。それに目立つし、純文学史上ミドルネームは初だろう。

私は抵抗した。かのアメリカのロックバンドのKISSは、デビューする際にあのメイクで演ることをレコード会社から大反対され、ところが売れてから、今度はメークを止めると言うと、更に激しく反対されたそうな。そんなエピソードをメールで書いて編集部に送った。生意気な奴だ。

とにもかくにも私はペンネームを再考した。

松永・K・三蔵。ちょっと長いか?

と、そこで私はあることに気づいた。いや、あるものに気づいた。いる。いるのだ。いや、見ている。こっちを。見覚えのある、あの目が。

そう、ミッフィーちゃんだ。オランダの絵本作家ディック・ブルーナのミッフィーちゃんが、こっちを見ている。

松永・K・三蔵。

松永(・K・)三蔵

松永(・×・)三蔵

松永・K・三蔵

一度見えはじめると、もはやミッフィーちゃん(・×・)にしか見えなくなってきた。

あ、これはマズい。私は純文学作家だ。シリアスなものも書く。そこにミッフィーちゃんが出てくるのはマズい。それに、ブルーナ事務所と面倒があっても困る。

そうして、私は「・」を外し、「松永K三蔵」になった。それで何の解決にもなってはいないが、編集部も、多少私も折れたと思ってくれたのか、じゃあ、それで行こうということになって、たぶん日本文学史上初のミドルネーム、アルファベットの小説家の誕生となったのだ。

そしてKISSのメイクを取るように、「松永三蔵」では面白くないと思うのだ。松永K三蔵、やっぱりこの名前が良いと思う。

おしまい

『バリ山行』の書評を書いていただきました! すばる9月号(若菜晃子さん)+ 小説すばる9月号(三宅香帆さん)

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若菜晃子さんが『すばる』で書評を書いてくれました。若菜さんは神戸のご出身で、山と渓谷社の編集者というキャリアを持つ方。すごいプレッシャー。大汗。

そして『小説すばる』では、大ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が話題沸騰の三宅香帆さんの連載書評「新刊を読む」で、お取上げいただきました。

いずれも素晴らしい評で、ほんとうにありがたいお言葉で、全く恐縮ですが、皆さん是非読んでいただければと思います。よろしくお願いします!

034 第171回芥川賞選評を読む。〝言葉の消え失せた地〟

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改めて選考委員の先生方の顔ぶれを見ると、

感慨深いものがある。

いつものコーヒーショップで

 

一番強烈な印象があるのは平野先生。

1998年、夏。私はあの衝撃を忘れることができない。当時私は18歳だ。十代。無鉄砲(バカ)。

浪人時代で、私はいつも西宮中央図書館で勉強をしていた。

いくつも小説の断片を書き散らしながら作品を完成させられなかったが、私は自己の天才を信じて疑わなかった。……バカだから。

――天才が文壇に衝撃を与えるまで、あと〇年。(その時歴史が動いた風に)

――今、この天才が浪人生として世を忍んでいる。

――天才が夙川沿いで今、弁当を食べている。

などとひとり頭のなかで独白しながらニヤニヤしている〝ヤベえ奴〟だったわけだ。

勉強に倦むと、図書館の入り口近くの雑誌コーナーで文芸誌を読み、ケッと悪態をつくような、全くどうしようもない奴だった。(このあたりについては菊池寛作「無名作家の日記」を読んで欲しい、ほとんどそのまま)※青空文庫にあるよ。

そんな私がある時、ふと手にした『新潮』に一挙掲載された平野先生の「日蝕」を眼にして、大袈裟ではなく脚が顫え、口の中はカラカラに干上がった。ニセモノの天才が本物の天才を眼にした瞬間だった。

「最後の息子」で文學界新人賞した吉田修一先生のデビューもその図書館で見た。

川上未映子先生が芥川賞を受賞された時の新聞記事もその図書館で見て、今でもよく覚えている。

山田詠美先生。先生の作品は大学のゼミの研究対象にもなった。アントニオ猪木のビンタよろしく、今回、私の作品も、エイミー節で「平凡。もっと挑戦しなよ、ヘイ、カモン!」とでも書かれてズバリと斬られてみたい気もしたが、意外にもエールを贈って下さった。

小川洋子先生、たぶん生活エリアは同じのはずだ。

そんな先生方に選評を頂けるのは、何だか現実感がない。いずれもありがたい選評で、とても学びがあった。

当代一の書き手を集めた芥川賞選考委員。おもしろくないわけがなくなくなくなくない(合ってか?)。選評の中に否が応でも名言が出てくる。それをいくつかご紹介。※本文は『文藝春秋』で読んでね。

「肉体の迷路を進み、言葉の消え失せた地まで行き着かなければ、小説は書けないのかもしれない」(小川洋子先生)

「シフトって言葉、まったく文学にそぐわないよ。センスない。ばか、ばか、F××K!」(山田詠美先生)

「優れた小説というのは必ずこの「間」を持っている」(吉田修一先生)

「けれど、その「出来ないこと」が、それぞれの小説を書かせてくれた――」

「結局今も時々、わたしはナンバで歩いてしまいます。」

「虚数は、そこにないものではなく、虚数として、そこにあるのです」(川上弘美先生)

「どう書かれているか(how)が重要であり、極端な話、Whatがほとんどなくても面白い小説は書きうる」(奥泉光先生)

たまんないな。最高だ。

中でも私は小川洋子先生の、もう一度引用するが、「肉体の迷路を進み、言葉の消え失せた地まで行き着かなければ、小説は書けないのかもしれない」この言葉に強く感銘を受け、共感する。それは私も常々考えていたことだ。

小説というのは言語芸術だけれど、その対象とするものは〝言葉にならないもの〟なので、それを言葉であわらそうという小説というものは、非常にパラドキシカルな芸術なのだ。

私はあらゆることを使ってその〝言葉の消え失せた地〟を体験しようとしている。

もちろん、その地に連れて行ってくれる文学作品もある。しかし、もしかしたら「文学」なんて概念ももっていない人の眼の奥にこそ、どこまでも純粋な〝言葉の消え失せた地〟があるのじゃなかろうか。そんなことを思う。カナンを目指す私の旅は続く。

松永K三蔵