共同通信・文芸時評「いま、文学の場所へ」2月 で「バリ山行」を取り上げていただきました。

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渡邊英理さんの共同通信・文芸時評「いま、文学の場所へ」の二月版で「バリ山行」を取り上げていただきました。

ありがとうございます。

「いま、文学の場所へ」素敵なタイトルだ。

拙作は「生きる能力とは」と題されて評していただいた。ありがたい。

「生きる」こと。それ、そのままを小説に書きたいと私はいつも思っている。だから「生きている」人に作品を届けたい。汚さも、狡さも、いい加減さも、醜さも、浅しさも、強慾も、気高さも、勇敢さも全部引っくるめて、ちゃんと生きている人に届けたいなぁ、などと考えている。

渡邊英理さん、ありがとうございました。先生の「中上健次論」、はやく読まねば。

今回はwebで拝読したので、紙面はない。イラストもないので、いつかの山行の自撮り。

※山は安全第一で!➕安全第一➕

028 「バリ山行」の追い込み中にウサギに殺されかけた話

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今月は掲載月なので宣伝の為に「日乗」投稿も増やす。

今回の原稿の校了まで、かなり慌ただしい進行だった。しかし原稿の締め切りが明後日に迫った週末、私は娘とウサギカフェに行く約束をしていた。

娘よ、すまん。日本文学の為だ、今週は諦めてくれ。そう思って延期を申し出ようと思っていたが、妻から娘がとても楽しみにしていると聞いた。

でも俺はデカダン、無頼派だから(群像2023年10月号文一の本棚「昭和期デカダン小説集」書評参照)娘とのウサギカフェの約束くらいは簡単に反故にする。

と、思ったが、いや今こそウサギに触れてリラックスするのも、案外、創作に良いインスピレーションを与えてくれるんじゃないだろうか--。などと考えた。決して娘に約束を断れないからじゃない。俺は無頼派だから締め切りの近い原稿を放り出してウサギカフェに向かった。(一応原稿は持って行ったけれど)

そうしてコーヒーを飲んでちょっと原稿をやり、いざウサギさんとの触れ合いタイム。ガラス戸で区画されたウサギルームに。幼気な小動物の癒しパワーが私に創作のインスピレーションを与えてくれるはずだ。

フワフワと柔らかいウサギたちを抱っこして程なく、私は胸のあたりに何かを感じた。来た。胸を騒がすような、いや、しかしこれはインスピレーションではなく、気管を内側から毛で撫でられるような違和感。

痒い。あ、ヤバい。これ。私は咽せた。胸で手を押さえ。「え? どうしたん?」と妻。ごめん。と慌ててウサギルームを出る。喉を伝って沸き上がるような内側からの痒み、ざわざわと胸の中が騒つく。あ、これ、俺なんかのアレルギーやろか。咳き込む。ヤバい、これあれやろ、アナフィラキシーやろ。

私は喘息持ちである。ヤバい締め切りがあるのに、ウサギカフェで呼吸困難って、「すみません、原稿ダメでした。いや、ウサギが、その‥‥」と編集部にアホな報告をしなければならないのか。洒落ならんでコレ。下手をすれば遺稿。未完の遺稿。同じ兵庫県出身の故車谷長吉先生は烏賊にやられたが、もしかして私はウサギだろうか‥‥‥。そんなことも考える。

ウサギルームを出て洗面所でうがいして、顔を洗い、手を洗ってやっと少し落ち着く。

危なかった。癒しと霊感を求めて来たのに、危うくウサギに殺されるところだった。

そうして私は辛くもウサギに殺されず、インスピレーションは受けたかどうかわからんが、なんとか「バリ山行」を校了したのであった。

みんなもモフモフウサギさんには気をつけね。

ちなみに原稿追い込み期間中、実は妻の誕生日だったが、ほとんど徹夜の日もあったりで、それを私はすっかり失念していた。

校了して、あ、と気づいて「ごめん……」と謝ったが、妻は「誕生日? そんなんどうでもエエねん!」と全く天晴れな女傑振り。いつもほんとお世話になっております。

松永K三蔵

◾️宣伝◾️ 群像2024年3月号(2月7日発売)

神戸、六甲山が舞台の山の小説です。

「バリ山行」自主制作CM

027 「バリ山行」が掲載される前日、ちょっとAIに尋いてみた。

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という訳で、2月7日、群像3月号が発売されて「バリ山行」が発表になった。その前日、ちょっと事件があった。

宣伝 看板(自主制作)

「山行」。登山に馴染みのない人はあまり聞き慣れない言葉だと思うけれど、これは「さんこう」と読む。

じゃあ、バリってなんだよ? という人は作品を読んでみてください。因みにバリ島の話ではないことは、先に断っておく。

ここ最近、九段さん(おめでとうございます!)の芥川賞受賞作『東京都同情塔』でAIが話題だが、私も創作ための調べごとにchatGPT-4を使ったこともある。ネット検索よりピンポイントに、あるいはニュアンスの幅をもって答えてくれるので非常に助かる。

そんなことで2月6日、「群像3月号」の発売日前日、雑誌の目次も公開されたことだし、ちょっとbingのコーパイロット(chatGPT4)に自分のこと尋いてみた。

松永K三蔵。いきなり、代表作は「バリ山行」と出た。情報が早い。代表作か、そうかぁ、そうなれば私も嬉しい。しかしまだ二作しかないから、それも間違いではない。

すると「松永K三蔵の作品を読んだことありますか?」というAIへの質問候補が下に出た。そうか、AIだから読めるのか。

押してみる。

すると、AIは「読んだことがある」と言う。そして「バリ山行」がとても好きだと。

え? あ、いや、まだ発売前なんですけど……

そうして出たアンサーが下だ。そのまま貼り付けておく。

もう私はAIを信用できない。

少なくとも今のところは、まだまだ発展途上のようだ。

これ「バリ山行」ってタイトルからのあなたの勝手な想像ですよね? テキトー過ぎでしょ!

バリ島なんて一切出てこないし、恋愛も出て来ない。ウソばっかじゃないですか、AIさん! 😊、じゃないですよ。全然、信用できないですよ!

ウソばかり? 信用ならない。

あぁ、なるほど。AIと小説にはやはり親和性があるようだ。

ということで、だから「バリ」ってなん何だよ? って人は下の自主制作のCMをどうぞ。

「バリ山行」自主制作CM

でもやっぱり、読まないとわからないようなので、よろしくどうぞ。

松永K三蔵

創作「バリ山行」を群像(2024年3月号)に掲載していただきました。

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中編小説「バリ山行」を群像3月号に掲載していただいた。

デビュー作の「カメオ」(群像新人文学賞優秀賞)に続く二作目。所謂、受賞後第一作だが、あれから月日は流れた。もちろんこればかりを書いていたわけではないが、この作品は、山をテーマに長編三本を書いて、混ぜて煮詰めて絞り出して、やっと出来た。ようやく機会が巡ってきて、この度発表。

宣伝 看板(自主制作)

山の話だが、これはいわゆる山岳小説ではない。お仕事小説だろうか。わからない。が、「なぜ山に登るのか?」という例の問いはちゃんとある。

私がひとりで展開する「オモロイ純文」運動の嚆矢に相応しい作品となった。つまりオモロイのだ。

しかし、せっかくのオモロイ純文も読まれなければ意味が無い。宣伝、宣伝、宣伝。ということでCMを作った。

編集部が噛んでないので非公式だが、自分で作っておいて非公式というのもおかしいので、「自主制作」というのが適当だろうか。

「バリ山行」自主制作CM

そんなことより原稿を書けと怒られそうだが、これはアプリでかなり簡単に作ることが出来る。風呂に入ってる間にだいたい作られたほど簡単。手がかかったのは、久しぶりにギターを引っ張り出して効果音を入れたことぐらいだ。

ということで、みなさん『群像』を(できれば)本屋さんで買って読んでくださいね。

松永K三蔵

011 純文学新人賞おぼえ書き②

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前回010のつづき。

で、考えた創作サイクル。

1月〜3月は『新潮』。4月は構想や調査(取材)、もしくは筆休めに短編を書く。5月〜7月で『文學界』。8月〜10月は『群像』。できれば『群像』には早めに出して、11月〜12月で「太宰賞」に。そんな感じ。

基本的には150〜200枚の中短編

一年間をこの締切で縛る。「俺締切」。これでいくとホント休む暇がない。誰からも求められてないんだけれど、勝手にめちゃくちゃ忙しい。五大文芸誌の新人賞全部に送る人もいるらしいけど、私には無理だった。無理に書いて作品が薄くなっても意味がないしとか思いながら。

もちろん毎日書く。一日休むと10枚くらい遅れる。ちょっと筆が迷ってもすぐ遅れる。そのリカバリーに時間を捻出しなければならない。それでもやっぱりピンチ、締切が! 担当編集者に怒られる(妄想)。毎日の進捗枚数を手帳に書く。試行錯誤。編み出す。創作方法、創作術。自分なりのメソッド。そんなのが生まれてくる。道具、持ち物、そんなものもいつしかプロパーのツールめいてくる。

ノートパソコンと創作ノート、手書きノートをいつも持ち歩いて、スキマ時間があれば書く。アレも書きたいし、コレも書きたい。幸いネタは尽きないのだ。ポコポコポコポコ沸いてくる。

書く、推敲、推敲、投稿。すぐに次。書く、 推敲、締切やばい、推敲、投稿。次、書く。結果発表−−は気にしない。ありがたいことに、わざわざ雑誌を見なくても最終候補に残ればちゃんと向こうから電話をくれるのだから。それ以外は誤差だと思って気にせずにおく。一喜一憂して筆がブレることの方がマズい。どんな傾向の作品が、どんな人が受賞したのか? それは自分と、自分が書きたいことと関係あるか? そんなことよりも「俺締切」。次だ、次。次を書く。推敲。投稿。そんで次。“雑音”を消し、この繰り返し。

実際のところ、これが良いのかわからないが、とにかくそんなサイクルで淡々と孤独に筆を進める生活には、書くことの単純な幸福と、作品が仕上ってくる歓びがある。

とは言え後日、流石に気になって、フラフラと書店や図書館に立ち寄り、発表号の誌面を見ることもあった。

「あ、ない‥‥‥」と分って、ガーン!とショックを受けるけれど、雑誌を閉じ、書店から出て三歩歩けばもう忘れる。というのは大袈裟だけれど、それよりも今書いてる作品に集中している。一次落ち? それは半年前の話だ。それほどショック受ける必要はない。半年前。この時差がちょうどいい感じなのだ。

そしてある日、「その時」がくる。その日、私はたまたま仕事が休みで、朝は執筆、その後はボクシングジムで若者と殴り合って帰宅したところだった。「03-」東京から電話番号の着信を見て、勤務先の本社だと思って「うわ」と思ったが、「群像編集部です」と留守電が残っていた、というわけだ。

で、それからも結果まではしばらくあるが、「俺締切」から解放されるわけじゃない。今書いてる作品を書く、推敲。この繰り返し。結果、候補作の『カメオ』は「群像」の優秀作に滑り込みをしたわけなのだが、それでもやっぱりこのサイクルは変わらない。その日もその翌日も当然に書く。「俺締切」があるからだ。

『カメオ』ゲラの修正。そんなことにスケジュールを少し組み直して、別の作品の続き。これまでと変わらない。変わったことは、つまり、投稿先が担当編集者に変わったのだ。

おしまい。

というのが、私の新人賞おぼえ書き。こんなドタバタした話に需要があるかどうかわからないが、ひとつの事例として書いておく。

待て〜! なんか、こう「傾向と対策」みたいなものがあるだろう! と言われるかも知れないが、無い。賛否はあるだろうし、あくまで「私の場合は」という但し書きをつけておくが、「傾向と対策」とかは要らないんじゃないだろうか。トレンドなどは知ってしまうと意識せずとも、どうしても「寄る」のだ。筆がブレる。傾向と対策。それを調べつくして、無理な姿勢から、精巧なイミテーションを作り上げても、自分に残るのは痛みばかりで、創作の歓びはないだろう。

新人賞に関しては、高名な小説家の指南書や、ハウツー本、業界の方の情報がたくさんあるだろうから、そちらを参考にした方が絶対いいだろう。が、

群像新人文学賞の選考委員の町田康先生は、私が新人賞に思うそんなことを、とてもシンプルに、的確に書いておられる。「いろんなことを気にせず自分が面白いと感じることを書き其れが面白ければ大吉」 孤高の先生らしい言葉だ。

書く、仕上げる。そこにある自分自身の単純な創作の歓び。本来それだけで良いのかも知れないが、その先にデビューして、多くの人に、届けたい人に、届く可能性のある仕組みに関われることは最高だと思う。

デビューしても、創作することは変わるわけじゃない。変わっていないが、それでいい。いや、それだからいい。自分の中のことばと、書くという行為が互いに静かに折り合って馴染み、やがて熔着し、ひと続きになって繋がっていく。その心地よさ。書くということの単純な幸福と歓び。それに浸れている間は私は大丈夫なのだと思う。

005 感想と批評(群像7月号まとめ御礼)

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Amazonで来月8月号、各文芸誌の情報が出始めた。そろそろ次月号にバトンを渡す頃合いだろう。ということで、このあたりでまとめ。

デビュー作掲載にあたっては担当編集者、編集部、校閲部、たぶん他にもいろいろあるんだろうけど、まず改めて御礼を述べたい。本当にありがとうございました。

掲載するまでの中で感じたのは、チーム。例えば私がピッチャーをさせて頂いて、皆さんが守備。担当編集者はキャッチーかな? (私が投げた甘い球がカコーンと打たれたようなミスも、校閲の方がしっかりと捕球してくれて、ドンマイなんて親指を立てているの様子がゲラを通してみえた)或いは私がボクサーで皆さんはセコンド。F1のピットイン。そんな手厚さも感じた。

そんなサポートの中から作品の扉絵が出て、あれほど素晴らしく作品を引き立ててくれる扉絵を私は見たことがなかった。事実、あれに何人かの方は反応されており、実際にちょっと読んでみようとなった筈だ。

「カメオ」掲載の群像7月号が発売されてから一ヶ月弱。周辺や、SNSやネットなど数多くの感想を頂いた。感謝、大感謝。

三蔵エゴサーチ之図

まずは「面白い」と言って頂けるのは、嬉しいと言うよりは、ホッとする。貴重な時間を割いて読んで頂くのだから、とにかく純文もオモロくなければ、なんてことを私は思う。

感想というのはありがたいし、そしてまた読んでいてとても愉しい。

改めて思うのは、批評(感想も含め)はやはりクリエイティブなものだということ。そこには読む人の個性がすごく出る。感想を比較すると、その人の人となりが見えるようだ。

文学は文章芸術でなく、想像芸術なので、その実体が顕れ、完成するのは、紙の上でなく、読み手の頭ン中。そしてそれは無限に広がる世界だ。

著者の意図を超え、考察の底を破って更に掘り、鉱脈を探りあてる。言葉の中にシグナルを光らせて繋ぎ、新たな座標を元に地図を、あるいは星座を描いて、その物語までも–−。そんな解釈や批評を読んでいて、参りましたー、なんて思うこともしばしば。

「カメオ」に、他者との距離感に注目する人や、移っていく名前を「憑依」と見て怖さを発見する人。胸くそ悪さ。自分勝手な要求のムカつきを感じる人。不条理。人間のエゴ。愛おしさ。繋がり。疾走感。人間の地図の外。言葉と言葉の間隙。カタルシス‥‥‥。

読んで頂いた方の見た、オリジナルの世界。その拡がりの豊かさに感動した。ほんとありがたい。

それから文芸時評。

6/30の読売新聞の朝刊「文芸月評」に取り上げて頂いた。

新聞記事だけど、やっぱり著作権の関係があるようで、載せられないのが残念。転載の利用申請ってのがあったが、これがメンドイ。メンドイし何かお金がかかりそうなので諦めた。すまん。

くっそー、何とか雰囲気だけでもみんなに伝えられへんやろか、と身をふるわせて呻吟しておったら、ちょうど良い感じのが撮れたので載せておく。

「和解」というキーワード。また「クライマックスのすがすがしさに、不器用に生きる人間を肯定したくなった」という締めくくりで、ありがたい評だった。

因みにラストに関しては私に聞こえてくる範囲では肯定的なのだが……。

それから、同じ群像新人賞出身の文芸批評家、荒木優太さんの「文学+web版の文芸時評6月」にも取り上げて頂いた。これは無料で読める。

実はこの批評には、少し訂正というか、注釈をTwitterでさせてもらった。犬は肉を残して逃げた、ってことになっていたが、いや完食したのだ、と。

犬は肉を残したか、残してないか問題。(どっちでもええわ! という声が聞こえてきそうだが)指摘の箇所を再読したが、やはりそう読ませる記述もないなと。ん? あ、いや、しかしポケットの中にはサイコロ肉がひとつ残っていた。(それか!)

しかし私がそれをTwitterで注釈すると、荒木さんはすぐに記憶違いだったと発信下さった。

しかし、やはりそれは読みの範疇だろう。これは私が妙に物分かり良すぎるというわけじゃなく、これもまた批評の妙だと思う。

右と書いて左と読まれたら誤読だけれど、この場合はそうじゃない。いや、確かにいるのだ。モデルとなったウチの飼い犬は、飼い主に似てとても弁えた犬なので、あまりそういうことはないが、犬によっては、ペットフェンスを押し倒し、ポケットの中のエサに跳びかかる乱暴なヤツもいるのだ。ほんとに。改めて批評によって、犬の幅が広がったわけだ。これもまた批評の面白いところ。

「在野研究者」を掲げている荒木さんには以前から興味があった。なぜなら小説家(を目指している人も含め)のほとんどが「在野」だということ。みんなたいてい生存する為に何かしら文筆以外のワークをして、残った時間で書いている。

下着まで汗にまみれたり、機械油に手を汚し、ブルーライトを浴び、車で走り回ったり、罵詈雑言を浴び、或いは逆に浴びせる立場だったり。ま、とにかくいろいろやって、そんでもって書いてるわけだ。

今は建築関係の仕事をしている私も、だいたい塗料やシーリングに汚れた作業着で、毎朝仕事前にコーヒーショップで書いている。以前も今もそれは変わらない。在野。

昨日今日出てきたド新人で、ちょっと雑誌に作品が載っただけの微妙な存在の私は、そりゃもちろんそうなんだが。–−−なんか話がズレて来た。ま、日記だから良いだろう。

あ、最後に。そんな吹けば飛ぶようなド新人の私への、荒木さんの返信はとても丁寧なものだった。

感想をTwitterなどでお寄せ下さった皆様、本当にありがとうございました。「カメオ」掲載の群像7月号は、書棚を8月号に譲りますが、また今後、「カメオ」を読んでTwitterなどで感想頂けたらとても嬉しいです。「おい、松永、つまんねーぞ」でも、もちろんOKです(^_^)

また次作も読んでいただければ嬉しいです。ありがとうございました。m(_ _)m

(2021.0710追記)ダミアンさんがnoteで『カメオ』について書いてくれました。嬉泣。

002 遅れてやってくる

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コロナ禍で、新人賞の受賞式は無いのだという。私は優秀作で、つまり佳作で拾われたのだけれど、当選作と優秀作。これが字面でもよくわからない。セッカチな友人は、私の方が「優秀」なんだと勘違いしていたが、ま、それはそのままにしておこう。

「群像」六月号の目次。当選二作(どちらも素晴らしい。未読の方には是非読むことをおすすめしたい)のヨコに、拙作「カメオ」も優秀作として載せて頂いたわけだが、最近は「鈍器」と形容されるほどに分厚くなった「群像」。それでも六月号の誌面には余裕がなく、掲載は七月号になると言うことだった。私が駄々をコネると、ますます背幅が拡がって、「鈍器」はいよいよ「箱」になりかねない。それはマズい。

号が変わろうといいじゃないか。いや、全然構わない。いえいえ、ありがとうございます。しかしそれはまた、なんだか受賞式に遅れ、緩んだネクタイで慌ててやって来た感がある。

いや、しかしちょっと待てよ。六月、七月。それならば、二か月連続で雑誌に私の名前が載ることになる。記憶はとにかく反復だと言うから、これは僥倖。

というわけで「群像」七月号 6/7発売です。

拙作「カメオ」も、立ち読みすると脚が痺れてくるくらいの長さはあるので、皆さん、是非、本屋さんで「群像七月号」買って下さいね。