031 デカダン文士シリーズ 其の壱 だいたい笑っている檀一雄

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昨年9月、私は『群像』10月号の「文一の本棚」(講談社の文芸第一から出版された本から好きな作品をチョイスして書評)を担当させていただいた。なんでもOKということだったので、私は群像文芸文庫の「昭和期デカダン短篇集」なんて時代錯誤のアンソロジーをチョイスした。

私は意図してデカダン作家を選り好んでいるわけではないが、私が心惹かれ作品は、何故か高確率でデカダン作家のものになるのだ。残念ながら、中には今ではあまり読まれなくなっている人もいる。ということで、私の好きなデカダン作家を、思いつくまま、全くランダムに紹介してみようと思う。そんな感じなので、一応、其の壱とさせていただく。其の弍もまた、そのうちに。

檀一雄(1912-1972)

あの女優の壇ふみさんのお父さんだ。

言わずと知れた太宰の盟友。そしてまた、安吾のよき理解者、友人でもあった。そんなデカダン両巨頭に挟まれて、その友人、証言者的な(実際に二人の名前そのままタイトルに作品にもしている)扱いをされがちな檀一雄、しかし作品はめちゃくちゃ良い。そりゃそうだ。彼らふたりと五分で付き合えたのだから。

派手な逸話が多い太宰や安吾。ふたりとも精神的変調があったが、檀一雄は至極健康。健康過ぎた。そして素面(しらふ)でヤバい。いや実は二人よりもヤバい奴なのかも知れない。

檀一雄もヤバい奴だが、この友人二人が手がかかる。すぐ死にたがる太宰、被害妄想の安吾。放っておけない。放ってはおけない檀一雄の面倒見の良さは、その生育環境から来たものだろう。九歳の時に母親が若い医学生と出奔し、以後、三人の妹たちの世話をする。『檀流クッキング』は早くもこの時にはじまったのだ。結婚し、病身の妻リツ子の看病、親族、家族の面倒もあった。その後も寝たきりの次男、家庭のこと、いろいろあった。実際どこまで面倒を見たのかはわからないが、とにかく檀一雄には「まとも」であらねばならない事情がついてまわった。その放埒、不羈の精神に反して。

当然、それらは作家の中で争うことになるのだが、檀一雄の偉大さは、そのほとんどで「負け」たことだ。つまり放埒に走った。妻を子を置いて中国に渡り、家族を放ったらかして女優と不倫。好き放題やった。困った人なのだ。

さて作品だが、デビュー作は「此家の性格」。ここには抑圧され、暗い翳を背負わされた少年時代の心象風景が驚異的な解像度で書かれている。暗鬱さは自らをも蝕み、その迫真が作品の強度を効果的にあげ、放埒と放浪への予感につなげているのだが、それはまさに作家、檀一雄のマニフェストとも言える。

初期の出世作の「花筐」は、いわゆる青春群像劇だが、この作品を私は良いとは思えない。もちろん非凡の人ではあるが、檀一雄は決して天才タイプではない。どうも作品には自らの天才を恃んで書いたようなところがあって、まわりも、これは天才の作品なんじゃないか? と評価したんじゃないかと思う。後年の作品から照射すれば、私には文芸的な器用さだけ目立つ作品に思えてしまうのだ。

そして、ベストはやはり『リツ子・その愛』『リツ子・その死』じゃなかろうか。『火宅の人』もちろん良いけれど、個人的にはやはり『リツ子』だ。日本文学史上屈指のヒロイン、静子がいるから、やはり『リツ子』だ。拾い読みで再読しても泣けて泣けて仕方ない。美しいのだ。愛妻の物語が? いや違う。その放埒が。

"行こう、と私の決心は強まった。黄河を見たら引返す。黄土層に咲き出した梨の花を栞にして、一ひらを老師の手に、一ひらを妻の手にら、それから憶良のようにボソボソと支那のお伽話を、わが子の寝物語に聞かせてやれば、それでよい”

のっけから良い。めちゃくちゃ良い。因みにこの老師とは佐藤春夫だ。

"やっぱり、太郎を連れ出して見たかった。幼年の日の山と川を、親子二人して歩いてみたかった。私は、行衛の知れぬ自分の心の来源を確めたい。櫨と、小松と、清流の上にかぶさる竹藪と、なだらかな雑木の丘陵を、夢のように朧ろな、昔の追憶の篩いで洗ってみたい。”

抜き出せばキリがない。文章も良いが、長篇小説全部がうねる巨大な詩になっている。母方家族との確執、息子太郎。もちろんリツ子。可也青年。そして静子。悲哀すらも丸呑みにして喝采する。リツ子の死のシーンはものすごい筆致。未読の方は是非読んで欲しい。

新潮文庫の装丁も最高だ。

檀一雄を画像で検索すると、だいたい笑っている。笑ってる場合じゃない! なんてことも散々やらかして来たのだろうが、なんと美しい笑顔だろう。

檀一雄は快活に笑う。快男児。快晴。仮に太宰が曇り空なら安吾は雷雲。そして檀一雄は抜けるような晴天だ。しかし、どこまでも青い蒼天は、どこかふと哀しい。哀しいが、哀しいことも丸呑みにして檀一雄は笑う。盟友太宰を送り、"安吾さん"を送り、ひとり残って溌剌と戦後を生きたのだ。