010 純文学新人賞おぼえ書き①

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2021年6月にデビューして約半年。コロナで受賞式も無く、地方在住の私は講談社にもまだ行ってない。相変わらず出勤前にカフェに行き、書き、その日の集中力を七割がた使い果たしてのろのろと仕事場に行く。休みの日は、家族が起きてくる前にやっぱりカフェに行って、書き、のろのろと自宅に戻ってくる。このループ。

あれ? これデビュー前と変わってなくないか? ま、賞を貰ったことで、一応、妻から一定の理解は得た。これまでは妻の中では、毎朝、ボンクラ夫が朝早く家を出ていき、カフェでひとり妄想をして、書いている。休日も。フルタイムワーカーの妻からすると、頼むから、どうせなら資格の勉強でもしてくれ、と思っていただろう。小説。そんな全く生活の足しにもならないことを。延々。しかも怪しい。ちょっと恥ずかしい。(因みに妻は過去わたしの作品を一作読んだきりだ)一度ご近所さんにも訊かれたらしい。毎朝、どこか行かれてるんですか?

困った妻はそのまま「カ、カフェに」と答えたそうだ。それは答えになっておらぬだろうが、ともかくご近所さんは「カフェ!」と驚嘆の声をあげという。妻にしたら何とも気恥ずかしい思いをしたに違いない。

兎にも角にも、私が新人賞を頂いて、妻は、はじめて『群像』なるものをググり、「ふーん」となって、「で、原稿料は? 印税は?」と。   ま、それはちょっと待ってくれ。それはいろんな事情があるのだ。それでも執筆時間に関しては、これまで私が休みの日に朝、夕方と書きに出ると、ダブルだ! 許せぬと言って怒ったが、そのあたりは「投資」だと思い寛容に見てくれるようになった。

ということで、ずいぶん前置きが長くなったが今回はキャッチーなタイトル。たぶん今、私が書くべきこと(求められるもの)は、気の利いたエセーなんかよりも、このあたりのことだろうか? 文学新人賞。

今更だが、純文学の新人賞には五大文芸誌があり、それぞれ新人賞がある。あと筑摩書房の太宰治賞もある。どれも年一回。(いつの間にか『文學界』も年一回になってた)

最初に断っておかねばならないことは、出版社に問い合わせても教えてくれないことは、私に訊かれても、仮に知っていたとしても、口外出来ないってことだ。そのあたりは理解して欲しい。

いや、そもそも私はマニアじゃないからあんまり知らない。なので、新人賞について書くと言っても個人的な思い出とか投稿スタイルぐらいで、小説家志望の人にはあまり役には立たないかも知れないが、読んでくれれば、あー、あるある、なんて共感いただけるだろう。

私は三年ほど前からようやく実生活のサバイバルに小安を得て(そのことはいずれ作品で←オモロイ)、創作に集中できる環境になった。それまでももちろん創作は続けていたが、ランダムで、出来上がったらポツリポツリと文芸誌の新人賞に投稿していた。もちろん毎回じゃない。

でも、もし新人賞を取ってデビューしたならコンスタントに量産しなくちゃならんよな、ということで、ここはひとつ勝手にプロになったつもりで、新人賞の締切を原稿の締切に見立てて書く生活を試みた。一種のロールプレイング。原稿の締切は絶対なのだ。

一年のサイクル。最初は、3月末の三誌、『新潮』『すばる』『文藝』。全部は無理だから文庫で一番馴染みのある『新潮』にした。あと9月末は『文學界』、10月末は『群像』、太宰賞が12月にある。それを軸に一年を過ごす。

ほとんど前置きになってしまったが、長いから、次回。

次回はそのサイクル。   つづく!

009 積書(き)

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読書家諸氏の間では「積読」なんて言葉は、すっかり定着したが、その起源はかなり古いらしい。しかし近年の普及と定着には、アプリの「読書メーター」が一役買ったのは間違い無いだろう。いずれにしても良くできた単語で、字面と音、名詞でありながら、なんだか動名詞のようであり、「つんどくー」なんて、どこかとぼけた現代的なニュアンスもあっておもしろい。まことに滋味深い言葉だと思う。今さら解説は不要だろう。

では、「積書(き)」というのはご存知だろうか? 知らない? 私も知らない。私が創ったから。(元祖がいたらスマン)ちなみに見積書のことではない。

つまり、積読と同じで、追いつかないで積み上がったモノだが、これは読みではなく、書き。

小説の創作の作業工程は、彫刻なんかに近いんじゃないかなぁ、なんてことを私は昔から考えている。いや、エルトン•ジョンじゃないけれど、実際に彫刻を彫ったことはないので、あくまで想像だが‥‥‥。

←積読   積書→

まずは手彫り(手書き)で全体をざっくり彫り上げて、それから何度も何度も繰り返し削るようにして、フォルムを出していく。そこから慎重に細部を刻み込んでいく。プゥーッとカスを吹き払って、また削り、更にヤスリで磨き、プッと粉を払ってまた磨く。すると徐々にてらてらと光ってくる。血が通い、動き出すこともある。

ロダンは彫る前に、材料の石の中に既に作品があると言う。なるほど、それなら私もそうだ。

物語が埋まった石が頭ん中に積みあがっている。ひと抱えほどある中編から手頃な短編。身の丈に余る大長編から、手の中にすっぽりと収まる、文字通りの掌編まで。の石。

そして、そんな石は毎日増えていく。笑って増えて、泣いて増え、バカ野郎!とドヤされて増え、胸を衝かれて増え。出会って増え、サヨナラをして、また増えて。切なくなって増え、哀しくて増え、恨んで増え、キレて増え、反省して増え、虚しくなって増え、誰かを想って増え、あのコを思い出してやっぱり増える。そんな右往左往の取り乱した生活の中で、私の石は無尽蔵に増えていく。

面白いのが、この石はある時すっかり消えて無くなっていたり、いつの間にかくっついて、見上げるほどの巨岩になっていたり、逆に手頃サイズに縮んでいたり。

しかし、とにかく私は書くのが追いつかない。だからいつも積んである。

積読もバカみたいにあるけど、積書きもまたバカみたいにあるのだ。だからとにかく毎日書くしかない。あ、秋。

008 書く場所考

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どこで書くか。

頭の中の繰り広げられる創作も、やはり書くという行為とその作業空間が必要なわけだ。昔、大音量で鳴るクラブのスピーカーの前で熟睡していた友人がいたが、そんな、どこだって寝られるという人みたいに、どこだって書けるよ、なんて人もいるだろうか。

自宅の自室(書斎)、リビング、トイレ、図書館、カフェ、ファミレス、車の中、電車の中、公園……。

小説がありがたいのは、今ならPCだけども、最悪、紙とペンがあれば、どこでも執筆場所になる。

小説を書くには繊細な感性で云々、などは言うつもりはないけれど、私も書く場所にはこだわる。こだわると言うより、書く場所は生産性にかなり影響する。

ものを書く人の執筆場所として、一番多いのはやはり自宅だろうか?

ありがたいことに、私も自宅に自分の部屋があり、書斎と言って差し支えない大机と椅子、それに本棚がある。が、私は家がダメで、ついつい他のことに気を取られて怠けてしまう。だから締切りがあるとか、余程追い詰められていないと家では書かない。では、どこで書くのか。一番書けるのはカフェ。コーヒーショップ。

そもそも小説家とカフェというのは親和性の高いもので、好一対とも言える。本とコーヒー。コーヒーと煙草。煙草と小説家。煙草は随分前にやめたけれど、とにかくそれらはぴったりで、連想ゲームのように繋がっていく。

例えばサルトル行きつけのカフェ・ド・フロール。サンフランシスコのカフェ・トリエステならケルアック。そんな文学にゆかりの深い有名なカフェもたくさんある。

いつか行きたい Caffe Trieste.

しかしカフェであればどこでも良いわけじゃなく、私にはいろいろ神経質でワガママな注文がある。

カフェなのでお客さんがいるのは仕方ないが、うるさ過ぎず、タイピングするので静かすぎず、声が反響するほど広すぎず、滞在時間が長くなるので、目立たないように狭すぎず、それも個人店ではなくチェーン店が良い。チェーン店の方が放置してくれ、長居に寛容だと思う。それに個人店で行きつけになると確実に認識されて、「何してるんですか?」となる。「いや、別に……」と逃げてもいずれ拿捕される。毎日行くと、チェーン店でも店員さんに認識されるが、まだ適度に見守ってくれる。

それから更に、空間的配置の注文をすれば、背後が壁の席が望ましい。後ろに誰かいると集中できない。もっと言えば前にもいないで欲しい。それ故に、理想なのはある程度広い店の、ちょっとデッドスペースなんかを利用した座席となる。

そんな都合のよい店あるのか? と思うかもしれないが、ある。これは内緒だが、あるのだ。

それからコスパ。やはりコーヒーが高いと困る。毎日のことなので重要。そう考えると、やはりあのチェーン店になるのだが、もうこのあたりでやめておこう。

それからカフェの他に、書く場所と言えば、サイゼリアなんかが良い。短時間ならスーパーやコンビニのイートインもなかなか。電車の中はかなり追い詰められた時。公園、良いのだが、あんまり長くいると通報されかねない。山の中、これは手書き限定だけども別の意味で良い。図書館は意外とダメで、自分のタイピングがうるさいのと、あと本が気になる。車も微妙。あと私はホテルもダメだった。

ということで、書きものをしている皆さんは、どこで書きますか?

「カメオ」が読めるお店 7CAFE(ナナカフェ)幡ヶ谷

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バックナンバー取り寄せや、図書館に行かなくても「カメオ」(群像7月号掲載)が読める。しかも、スペシャリティコーヒーやスコーンなどをお供に。今回はそんなお店の紹介。

幡ヶ谷駅から歩いて30秒の好立地

7CAFE

http://7cafe.jp/

東京都渋谷区幡ヶ谷2-13-1平沼ビル1F
*京王新線幡ヶ谷駅北口から徒歩30秒
◉OPEN 11:30〜
◉平日CLOSE(日〜木) 22:30(21:30L.O.)
◉週末CLOSE(金土) 23:15(22:30L.O.)
◉定休日 火曜日

マスターは古くからの友人で、昔はよく私の果てしない文学談義に付き合ってくれた。

お店には、コアなチョイスの本が並ぶ。本好きにはたまらない。見てるだけでも絶対愉しい。

壁には太宰の「走れメロス」が貼り付けてある。これはバエる。

でもって、そんなマスターに私はデビュー前、いくつか作品を読んで貰って、いろいろアドバイスや感想をもらっていたのだ。

群像新人文学賞のことを伝えると、お祝いを頂いたので、私としては当たり前に「カメオ」も店に置いてくれるものだと思っていた。が、「チェックしてからね」と、マスター審査に合格してからと言うのだ!(厳しい!)

で、(なんとか)無事にマスター審査に合格し、この度「カメオ」が載った「群像7月号」をお店の本棚に並べてもらえることになった。

初めてPOPを作った。ラミして送る予定。

「カメオ」未読の方は是非、7CAFEでどうぞ。

早い人なら一回で読めなくもないが、「琹キープ」なんて粋なサービスもある。気になる本ばかりなので、他の本にも手を出して、琹キープで行きつけににするのもアリ。

かなり落ち着ける。読書にも最適なお店だ。

居心地最高だ。
名物 ババンヌ。 お茶はもちろん、お食事も。

あ、因みに、審査の一件でもわかるようにマスターはそんなに甘くないので、いつまでも「群像7月号」が並んでるとは限らない。急げ、急ぐのだ。

006 万感描写

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五輪に伴う4連休。ありがたいことに私の定職も4、いや3.5連休。私としては自分ノルマの40枚の遅延を、なんとかこの連休で取り戻したいところ。

にしても、暑い。五輪選手は大丈夫だろうか。

窓を開けて書く。無風。暑い。

暑い! 暑い!! 暑い!!!だが、これでいい。

これは描写チャンスだ。

例えば暑いシーンを読んでる人が、いかにその暑さを感じてくれるか。描写には五感が必要だと言う。うーん、感じろ。この暑さを味わい尽くすんだ。

アントン・チェホフは作品の中で面白いことを言っていた。実は人間には100の知覚があって、生きている内はその95を忘れているのだ、とかなんとか。そんなことを作中人物に語らせていた。なんの作品だったか。ちょっと、もう暑いから、原典はあたらない。悪いけど、探してくれ。

私もそう思う。いやもしかすると100どころじゃきかないのかも知れない。宇宙の広大さや、身体を構成する細胞の数や、アイドルグループのメンバーの人数が我々の理解を超えるように。

だから描写も、なるたけ現地を踏み、五感を超えて感じ、それをそのまま筆に乗っけて、書けないものまで描かなきゃね。なんてことを考える、夏。

005 感想と批評(群像7月号まとめ御礼)

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Amazonで来月8月号、各文芸誌の情報が出始めた。そろそろ次月号にバトンを渡す頃合いだろう。ということで、このあたりでまとめ。

デビュー作掲載にあたっては担当編集者、編集部、校閲部、たぶん他にもいろいろあるんだろうけど、まず改めて御礼を述べたい。本当にありがとうございました。

掲載するまでの中で感じたのは、チーム。例えば私がピッチャーをさせて頂いて、皆さんが守備。担当編集者はキャッチャーかな? (私が投げた甘い球がカコーンと打たれたようなミスも、校閲の方がしっかりと捕球してくれて、ドンマイなんて親指を立てているの様子がゲラを通してみえた)或いは私がボクサーで皆さんはセコンド。F1のピットイン。そんな手厚さも感じた。

そんなサポートの中から作品の扉絵が出て、あれほど素晴らしく作品を引き立ててくれる扉絵を私は見たことがなかった。事実、あれに何人かの方は反応されており、実際にちょっと読んでみようとなった筈だ。

「カメオ」掲載の群像7月号が発売されてから一ヶ月弱。周辺や、SNSやネットなど数多くの感想を頂いた。感謝、大感謝。

三蔵エゴサーチ之図

まずは「面白い」と言って頂けるのは、嬉しいと言うよりは、ホッとする。貴重な時間を割いて読んで頂くのだから、とにかく純文もオモロくなければ、なんてことを私は思う。

感想というのはありがたいし、そしてまた読んでいてとても愉しい。

改めて思うのは、批評(感想も含め)はやはりクリエイティブなものだということ。そこには読む人の個性がすごく出る。感想を比較すると、その人の人となりが見えるようだ。

文学は文章芸術でなく、想像芸術なので、その実体が顕れ、完成するのは、紙の上でなく、読み手の頭ン中。そしてそれは無限に広がる世界だ。

著者の意図を超え、考察の底を破って更に掘り、鉱脈を探りあてる。言葉の中にシグナルを光らせて繋ぎ、新たな座標を元に地図を、あるいは星座を描いて、その物語までも–−。そんな解釈や批評を読んでいて、参りましたー、なんて思うこともしばしば。

「カメオ」に、他者との距離感に注目する人や、移っていく名前を「憑依」と見て怖さを発見する人。胸くそ悪さ。自分勝手な要求にムカつきを感じる人。不条理。人間のエゴ。愛おしさ。繋がり。疾走感。人間の地図の外。言葉と言葉の間隙。カタルシス‥‥‥。

読んで頂いた方の見た、オリジナルの世界。その拡がりの豊かさに感動した。ほんとありがたい。

それから文芸時評。

6/30の読売新聞の朝刊「文芸月評」に取り上げて頂いた。

新聞記事だけど、やっぱり著作権の関係があるようで、載せられないのが残念。転載の利用申請ってのがあったが、これがメンドイ。メンドイし何かお金がかかりそうなので諦めた。すまん。

くっそー、何とか雰囲気だけでもみんなに伝えられへんやろか、と身をふるわせて呻吟しておったら、ちょうど良い感じのが撮れたので載せておく。

「和解」というキーワード。また「クライマックスのすがすがしさに、不器用に生きる人間を肯定したくなった」という締めくくりで、ありがたい評だった。

因みにラストに関しては私に聞こえてくる範囲では肯定的なのだが……。

感想をTwitterなどでお寄せ下さった皆様ありがとうございました。「カメオ」掲載の群像7月号は、書棚を8月号に譲りますが、また今後、「カメオ」を読んでTwitterなどで感想頂けたらとても嬉しいです。

(2021.0710追記)ダミアンさんがnoteで『カメオ』について書いてくれました。嬉泣。

004 タイトル詐欺(カメオ)

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「19世紀後期、イタリアで作られたというそれは、幾度も欧州の騒乱や戦禍をくぐり抜け、そしてサルドニア貝を削り出した乳白色の貴婦人の横顔は、東京を焼いたあの炎も赤々と映し出したのかも知れない。祖母から母、そしてわたしへと受け継がれてきたカメオ。けれど、今、わたしはそれを手放そうとしている––––」    (『cameo』本文より)

cameoってこんな感じか?

‥‥‥

なんて話じゃなくて、スマンな。残念、「亀夫」でした。

『カメオ』の「カメオ」は鼻毛とか出てる系の関西のオッサンの名前です。

もちろん記事の冒頭の文章は冗談だけど、    「カメオ」ってブローチとかの装飾品のことかと思ったわ! なんて感想を頂くことが私のまわりやTwitterでもいくつかあって、皆さんお洒落ですねぇ、なんて思いながら、勝手にお応えして書いた‥‥‥。

そもそも私は書いている時、カメオブローチんて名称も知らなかった。––––無知ですいません。あと、映画とかでカメオ出演てのもあるんですね。

Twitter等でいろいろご感想を頂いております。みなさん、本当にありがとうございます。今回は頂いた感想のアンサー記事でした。

003 「下世話な話」のつづき

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歴史ある五大文芸誌の新人賞受賞の言葉で、過去これまで、賞金、つまり賤しくも(下世話な)カネの話をした例があっただろうか? たまに、そのあたりに妙に詳しい人もいたりするが、私は知らない。

半世紀以上続く純文学の賞だ、やはりそこは高踏的なカッコいい言葉で、バシッと決めるべきだったんだろうけれど、私としては一番の功のあった飼犬に触れないわけにはいかなかった。

もしかすると受賞の言葉は、「群像」の公式HPにそのうちあがるかも知れないが、勝手に転載するわけには行かないので、読んでない人はバックナンバー(2021年6月号)でチェックして欲しい。※編集部の許可をとって「掲載・出版」から読めるようになった(2023年4月)

とは言うものの、なかなかそうもいかないだろうから、カンタンに内容を説明すると、私は受賞の言葉で、「下世話な話だが」と、いくらか貰える賞金で、本作のネタ元の飼い犬に(取り分として)高級スーパーでササミ肉を買ってやると宣言したわけだ。

「とかなんとか言ってもどうせ口だけで、結局は犬の取り分もガメてんだろ?」なんて疑惑を封じる為に、今回は件のササミ肉レポをする。

成城石井? いやいや、関西で高級スーパーと言えば、イカリスーパーだ。関西圏以外の人には馴染みがないだろうから分かりやすく言えば、コープには「コープさん」なんて親しみを込めて「さん」づけをするが、イカリスーパーとくると、「さん」づけでは済まされない。まぁ、つけるなら、イカリ様だ。

最近(2021.6)ネットで話題になった「よく使う関西のスーパーマーケットを分類してみた(改)」でも、やはり頂点に君臨するのは「ikari」だ。「富裕層御用達」の更に上、「特権階級」と書いてある。

イカリ様。写ってないが、巨大なホンモノ?の錨が店の前に据えてある。

最近はスーパーでお買い物をしても、袋をくれなくなって、お金を払って買って、もちろん自分で袋詰めをしなければならないが‥‥‥。そこにくるとイカリ様は違う。

袋もくれるし、必ずでは無いが大抵、レジ担当の人とはまた別の人が、買った商品を袋に詰めてくれる。

約束の、桃色にツヤツヤ光るササミ肉だ。

俺は。ボイルす。る。

ボイル。ハードに。ハードボイルドだ。

食えよ。思う存分。お前の取り分だ。

さすが高級(店の)肉。

脇目も振らずに食らいつく。

おい、うまいか? おい! どうだ?

「何だよ!うるせェーな!」とばかりに一度は振り向いたが、肉にガッツく彼が二度と此方の呼びかけに、振り向くことはなかった。

002 遅れてやってくる

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コロナ禍で、新人賞の受賞式は無いのだという。私は優秀作で、つまり佳作で拾われたのだけれど、当選作と優秀作。これが字面でもよくわからない。セッカチな友人は、私の方が「優秀」なんだと勘違いしていたが、ま、それはそのままにしておこう。

「群像」六月号の目次。当選二作(どちらも素晴らしい。未読の方には是非読むことをおすすめしたい)のヨコに、拙作「カメオ」も優秀作として載せて頂いたわけだが、最近は「鈍器」と形容されるほどに分厚くなった「群像」。それでも六月号の誌面には余裕がなく、掲載は七月号になると言うことだった。私が駄々をコネると、ますます背幅が拡がって、「鈍器」はいよいよ「箱」になりかねない。それはマズい。

号が変わろうといいじゃないか。いや、全然構わない。いえいえ、ありがとうございます。しかしそれはまた、なんだか受賞式に遅れ、緩んだネクタイで慌ててやって来た感がある。

いや、しかしちょっと待てよ。六月、七月。それならば、二か月連続で雑誌に私の名前が載ることになる。記憶はとにかく反復だと言うから、これは僥倖。

というわけで「群像」七月号 6/7発売です。

拙作「カメオ」も、立ち読みすると脚が痺れてくるくらいの長さはあるので、皆さん、是非、本屋さんで「群像七月号」買って下さいね。

001 ルシア・ベルリン「虎に嚙まれて」TigerBites.

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虎に嚙まれるとなるとタダではすまないが、耄碌してきたウチの犬も、最近は慌てることがあると誰かれ構わず嚙むことがあって、それは私も例外ではないので、やっぱり注意が必要だ。

群像六月号の目玉のひとつにルシア・ベルリンの訳し下ろし三篇がある。

本日はお休み、外は大雨且つ警報。ということで、子守執筆子守読書子守子守というルーティン。で、読書は「虎に嚙まれて」。メキシコでの堕胎手術がテーマ。私も堕胎について短編を書いたことがある(もちろん世に出てない)。切り口も毛色も全然違うけれど。ルシア・ベルリンのそれはどこかパンキッシュなユーモアがあって、それが乾いた土地の埃っぽい笑いになり、重い主題にも関わらずカラリとした明るさがある。ま、いっか的な軽やかさがこの人の魅力なんだろうなぁ、なんてこと考えて、ベッドに寝そべって読んでいた私が起き上がると、一緒に寛いでいた犬が驚き、私の太腿をがぶりと噛んだ。ほんとです。

扉絵のルシアがこっちを見てニヤけてる。

ルシアBベルリンは「虎に嚙まれて」松永K三蔵は犬に嚙まれた、というわけだ。